このメールは、認定NPO法人地球市民の会の活動をご報告するメールマガジン6月号です。
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※本メールは、地球市民の会の会員の皆さま、ふるさと納税でご支援いただいた皆様、スタッフと名刺交換を
された方にお送りしています。配信解除を希望する方は最下部の「配信停止」ボタンよりお知らせください。
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いつも当会をご支援いただき、ありがとうございます!
認定NPO法人地球市民の会メールマガジン6月号です。
このたび、当会の4代目会長の佐藤昭二が退任し、5代目会長として、小原嘉文が就任いたしました。
4代目会長の佐藤は、当会創設者の古賀武夫の死去後、12年にわたり会長を務めさせていただきました。小原は、設立発起人の1人でもあり、2代目会長も務めておりました。
当会をご支援いただく皆さまに、あらためて挨拶をさせていただきます。ご一読いただければ幸いです。
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2008年3月、前会長・古賀武夫氏死去に伴い同年4月1日付をもって当会の会長を拝命させて頂きました。
まる12年間を通してみて大過なく今日を迎えることができましたのは、会員の皆様の熱いご理解とご協力、当会の役員及び事務局スタッフの皆様方の働きがあってのことでございます。
何もできなかった私を今日まで支え続けて下さった皆様に、心から感謝申し上げます。
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振り返ってみますと、2011年の東日本大震災を始めとして、熊本大地震、九州豪雨、新型コロナウィルスと息つく暇もない災害続きで今日を迎えています、その中で、日夜努力されている、スタッフ、皆様を思えば胸が熱くなります。一人の100歩ではなく100人の1歩、それが地球市民運動でありましょう。
これから、私自身も一会員として、小原新会長を中心にこの難局を乗り切るべくお手伝いさせて頂きたいと思います。
12年間本当にお世話になりました、ありがとうございました。
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佐藤前会長からバトンを渡していただき、地球市民の会会長に就任しました小原嘉文です。
古賀武夫さんから新しい国際交流団体を佐賀で設立したいので協力して欲しいと相談を受け、設立発起人になったのが1983年。第2代目の会長を務めたのが1986年から1993年なので、地球市民の会との関わりは37年間にもになります。
地球も世界も世間も大きく変わり、地球市民の会の役割、社会から求められていること、事業内容も変化しました。
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私なりに地球市民の会に求められていること、進むべき方向を見出して会員の皆様とともに進んでゆきたいと思います。
コロナ禍のために例年のような形の理事会、総会は延期になりましたが、先日久しぶりに理事会に出席して色々と感じることがありました。
変わってないと思ったことは、議論百出、遠慮せずに言いたいことは発言する、妥協しない、なあなあで済ませない、といった地球市民の会らしさは以前のままでした。嬉しくなりました。当たり前のことのようですが他の団体ではなかなかできないことです。
少し危機感を感じたのは会員の高齢化です。高齢者の仲間入りした私が言うのもおかしいのですが、理事会メンバーの平均年齢も毎年高くなっていると思います。20代、30代の若者が興味を持ち、会員になり積極的に発言、活動できる各年齢層のバランスの良い会員構成が必要だと思います。
今後もこのメルマガで気づいたことや気になったことを書いてゆきます。お付き合いください。
会員の皆様、山口理事長はじめ理事・役員の皆様、事務局員の皆様と共に「世界の平和と親善、地域社会の向上発展に寄与する」という会の目的に向かって邁進したいと思います。宜しくお願い致します。
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【小原嘉文(こはら・よしふみ)】
1954年 嬉野市生。フレッチャー法律外交大学院(米国)修了。
慶應義塾大学在学中より末次一郎事務所ボランティアスタッフとして、韓国訪問、日ソ専門家会議、機関紙「新樹」の編集などに携わる。
佐賀に帰省後、1983年より青年会議所の活動を通じて青年海外協力隊帰国隊員の支援を担当した。1988年度佐賀青年会議所理事長、1994年度日本青年会議所会頭。同年北方領土ビザなし渡航の団長を務めた。
1983年に設立した地球市民の会の設立発起人に名を連ね、1986年~1993年に2代会長を務めた。青年海外協力隊の支援活動は、長年、地球市民の会において実施してきたが、2008年に「佐賀県協力隊を育てる会」を創設して会長を務め、現在に至る。
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