私は、人は誰でも過去の自分の人生をおよそ肯定する存在だと思っています。
何かを乗り越えてきたり、自分なりに努力を積み重ねてきたり、
その上で幸せを感じることが多いほど、その肯定する気持ちが強まるものでもあると思います。
例えば、私の場合だと先ほど書いた 母の鬱病の中での学生生活、
右目の手術、合わさって152cm 28kgの拒食症・・
ニュージーランドから帰ってきた22歳の頃、実家に帰った昼下がりの休日に
早めのお風呂に入っていた時、“過去の全部の出来事があったからこそ、今があるんだな“と感じて 、それは かけがえのないものだと感じていたことを、よく覚えています。
そうして、私たちは過去の自分を肯定する存在だからこそ、
“実は”こころの奥底(潜在意識)では「どうして?」「なんでこうなっちゃったの?」という本音の思考があることを見逃してしまいがちです。
5パーセントの顕在意識にはもう気付かないところにありながら、
95パーセントの潜在意識では、まだまだ怒っていたり憤っていた気持ちがあって、
それが、人生に時たま・もしくは繰り返しやってくる「なんでこんな人が」「なんでこんなことに」という現実を作る元になってしまっていることが気付きにくくなってしまいます。
乗り越えてきた体験は、「その人の個性」を作ると思います。
味わった苦しい気持ちは、「今や未来に出会う人の気持ちをわかってあげられる、大切な経験」になると思います。
過去の「どうして○ ○な状況なの?」と 被害者に思う気持ちを見直すことは、
それは言葉では「あなたが100%作っていた」と見直していくことですが、
決して、過去の自分が「間違っていた」とか「いけなかった」と思うためのものではありません。
実はまだ思っている(怒っている)本音の自分を見直して
100%「私が」現実を作っていること・作っていたことに気づいたら、
迎えてほしいのは、「日常の安心感」と、「“なんでも選びつくることができる“という人生のワクワク感」です。
心の学びは、思考の学びは、この安心感と、家族と・人と関わる楽しさと、
人生のワクワク感を純粋に味わうためのものだと思います。