「人に頼れない」原体験とは
では、人に適切に依存することができず、一人で我慢して問題を抱えてしまう時… 心理的には一体何が起こっているのでしょうか。
先にも書いたように、人に頼るには次の2つのことが必要です 。
①人や社会は信頼するに足ると感じられること
②自分は決して万能ではなく、弱い部分や欠けた部分もあると受け入れられていること
つまり、この2つが生きてきた過程で損なわれるような体験をしてきているかもしれません。
例えば、、、
・いじめや親からの虐待など、人から大きく傷つけられるような体験をしてきた
・親から受け止めたもらったという体験に乏しい
・依存が必要な時期に、早くから自立を迫られる環境にあった
・有能であることを求められ、弱さを受け入れてもらえない環境にあった
などの体験です。
人との信頼関係を結ぶ、原点
人への基本的信頼感は、お母さんと子どもの間の愛着関係がベースになっていると言われます。
愛着とは、子どもが不安を感じた時に、特定の養育者(主にお母さん)にくっついて安心を得ようとする行動とその関係性のことです。
そして、子どもは安心が得られれば外に向かって探索行動を広げていきます。
このお母さんとの愛着関係をベースに、次にお父さん→家庭の外(学校・ご近所)→社会へと関係性を広げていくことができるようになります。
不安な時に、安心してお母さんに受け止めてもらえた という経験を軸に
「自分は人から受け止めてもらえる存在なんだ」
「不安な時に人に頼っても大丈夫なんだ」
という感覚を得ていくわけです。
ただし、いつでもそれが受け入れてもらえるわけではありません。
物事はいつでも自分の思い通りにはいくわけではないという
適度な挫折経験をくりかえすことも大切です。
「受け入れてくれる時もあれば、そうじゃない時もある」
「受け入れてくれる人もいれば、そうじゃない人もいる」
「信頼できる人もいれば、そうじゃない人もいる」
こんな風に、現実に即して人との信頼関係を築いていく礎になります。
ところが、不安を感じた時に、愛着を求める先の親の情緒が不安定だったり、近づくと拒絶されたり暴力を振るわれるといった状況であった場合、人に安心して近づいたり、信頼することは難しくなります。
人に近づくことは、より危険なこと・・・になってしまうのですね。
いじめの場合もそうです。
例え、親子関係において、受け入れてもらった経験をしていたとしても、その基盤が覆される事態となります。
家はかろうじて安全でも、社会はとても危険なものとなります。
人は完ぺきではないと知る、原点
また、挫折経験は、幼児の万能感から現実の自己を受け入れていくためにも大切なものになります。
子供には、「なんでもできる!空も飛べる!」というような幼児的万能感があります。
この万能感で、親を助けることもできるし、自分の思い通りにすることができると思っているんですね。
要は認知のかたよりなのですが・・・。
これが「なんでも思い通りにはいかないんだ」という挫折経験を通して、自分は決して万能ではないと現実を受け入れていくことが健全な成長に必要です。
その時に、絶望しても温かく寄り添ってくれる人が側にいることで、挫折から回復していくことができるようになります。
これが、
「自分は決して万能ではないし、できないこともあるけれど、それでも大丈夫」
という感覚につながっていきます。
ところが、親が子どものできない部分を受け入れられないと、子どもは安心して挫折を経験することができなくなります。
子どもにとっても、親にとっても、できないことがあることが恐怖になってしまうんですね。
あるいは、親が親自身のことや、仕事のこと、他の家族のことでいっぱいであれば、子どもは迷惑をかけまいと甘えを我慢して、早期に自立しなければならなくなります。
この時、適切な依存の代わりに、自分は万能であるという感覚を足がかりにがんばって自立してしていくことが多いようです。
無理してなんでも頑張って、ダメなところをなくそうと完璧主義になっていきやすいのです。