安心の代わりに、不安でいるわけ
では、安心するのが怖いのは一体どうしてなのでしょうか。
安心することができないという方にお話しをお伺いしていると
安心してその場に身を委ねてしまうと、「何か命を脅かされるような怖いこと」が起こるような感覚を持っていらっしゃることが多いんですね。
「命を脅かされるような怖いこと」の中身は人それぞれですが
人から非難される
居場所がなくなる
人として価値がなくなってしまう
・・・・
などなど、一見命とは関係がないように見えて
掘り下げていくと、自分の存在に関わることにつながっていることがほとんどです。
多くは、小さな頃からの体験の積み重ねや、親から受け継いできた生き方、人生を揺るがすような大きな傷付き体験が影響しています。
例えば、家庭に暴言や暴力が日常的にあったとしたら、リラックスしてのほほんと過ごすことなんてできないでしょうし、
躾が厳しく、過干渉な親御さんのもとで育ったのなら、常に気を張って行動しなければならなかったかもしれません。
このように、暴力や叱責、否定を受ける環境であったのなら、安心してその場にいるなんてもってのほかです。
あるいは、親が安心しない生き方をしているのをみてきたのなら、安心して生きることは家族から排除される恐怖につながります。
ここに挙げたのはほんの一例ですが・・・
つまり、安心の代わりに不安でいるというのは、
常に警戒して、命を守っている
ということなんですね。
もうこれ、安心するのが怖くて当たり前なんです;;
だって、ぼんやりすることは死を意味するんですから。
体はいつも命を守るために本当によく頑張ってくれているんです。 |