webをめくっていたらこんな言葉がありました。
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だれも好き好んで坂道を、逆風を進みたいわけではない。
「かっこいいから」、「すげーと言われたいから」、
「儲かるから」ぐらいのモチベーションで死の谷を乗り越えられるほど、
簡単なものでもない。
いや、そういうカンタンなものは、既にもうこの世にあるものばかりだ。
本当に新しいものにリーチしたい。
万難を排しても自分(たち)はそれを実現したい。
先駆者というのは、誰しも、そういう熱い想いがある。
でも、その熱い想いは、ひとりではなかなか実現できない。
協力者、支援者、同志などが必要になる。
でも、やろうとしていることはこの世にないもの。
この世にないもの、ということは、つまり、
それを説明する言葉がない、それを測る物差しがない、ということだ。
説明する言葉がない、物差しがない。
でも、共感して連帯しなければ乗り越えられない。
はて、どうしたらよいのか。
人と人がある程度の時間、継続して付き合うことで、
言葉だけでなく伝わるもの。
つたない表現の間隙に見えてくるもの。
そういうものこそ大事ではないか。
新しいものにチャレンジするには、
人と人が部品のように、あらかじめ明瞭な設計(分担)によって組み合わさる
集団(プロジェクト)ではなく、
共感するチームとして、継続的に存在し、発生する課題に
協力し合うことで柔軟に対応する。
それこそがイノベーションを生む土壌であり、可能性ではないか。
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というようなことが書いてありました。
それこそが「イノベーションを生む土壌」、の「それ」とはなにか。
ボクがだいじにしているのは、
「なんとなくやれそうだという空気」だと思って実践しています。
ある程度決まったルールの中でやることなら、
じっと辛抱強く続けていくことが求められるでしょう。
ふわふわしていてはむしろ軽薄なものしかできないかも知れない。
けど、新しいものにチャレンジすると決めたなら、
「なんとなくやれそうだという空気」を作り続け、
リーダーはそれを送り続けることだと思っています。
嫌気性バクテリアが発生しないように、好気性バクテリアが活性化するように、
新鮮な空気を送り続けるみたいなイメージ(かえってわかんないかしら)。
まぁ、そんなはなし。