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2023.3.15 Vol.045
井川さんの本音
ピッタリ糊で貼ったのに、季節が経て紙が収縮しずれてきている。それもまた良し。

味噌会のために糀を作っています。

ボクはMAMEHICOを通じて、なんでも作ろうとしてきたし、

実際、いろんなものを作ってきました。

 

とにかく作れるものは、買わずに作ってみようと。

 

そういうボクを見て、

「買えばいいじゃないか」と笑うヒトがいます。

「そのほうが安く、品質も良く、時間の効率にもなるのだよ」と。

 

ははぁ、なるほど。

では、それがこの国が、

なんでもかんでもばかばかと輸入してきた理由なのですね。

 

では

「買えばいいじゃないか」と、この国はどうなりましたかね。

「買えばいいじゃないか」と、田舎町はどうなりましたか。

さぞかし、素晴らしくなったんでしょうか。

残念ながら、なってない。

 

経済学の理屈では、ものの価格はほっといても適正に落ち着き、

安いことは神のなすわざとしてきたかもしれませんが。

 

地域の自然、そこに住み続けてきた人間の営み、関係までを、

「買えばいいじゃないか」と、ばっさり断ち切り、

その副作用のほうがかえって高く付いた、

そこまでを勘定に入れてなかったなんて、こいつら馬鹿じゃないのとボクは思います。

 

「買えばいいじゃないか」

では、その買うためのお金はどこから来るのか。

「都市に住む頭のいい連中が、腐心して稼いだ金だよ」。

では、その都市はどこから来たのか。

東京やニューヨークは、ある日突然、

煙の中から突然都市になったわけではあるまいや。

自然、田舎町との複雑な関係や歴史の中で、

都市はできたのではないのか。

 

都市は都市だけで存在しているわけではなく、

田舎があって初めて都市は都市でいられるんじゃないですかね。

 

かつて、ボクらは北海道に畑をもち、飛行機賃をかけて大豆や小豆を作っていました。

そんなボクらを、

「そんな手間ひまかけたら、金がかかって仕方がなかろう。

まったく、ただの道楽だな」と、

笑ったり、呆れたりするヒトがいっぱいいました。

 

でも、あなたたちは分かっていない。

 

あのとき、ボクと一緒に、この無謀なことに挑戦し、

無から有を作ることに参加してくれたヒトたちは、

その後、すごい成長をしたことを。

 

それは、なんちゃらセミナーだのとは比べ物にならない、

生きた教育の効果があったことを。

 

そのとき若かったヒトも、いまじゃいい歳になり、

コロナにMAMEHICOが翻弄したときも動ぜず、

「やることやりましょう。

そしてそれでもだめなら、また無から有を創ればいいじゃないですか」

とみな笑ったのです。

 

だからボクは、ボクたちを誇らしく思っているし、

ボクたちには希望しか待ってないだろうと、

本気で信じていられるのです。

 

この秋、群馬にMAMEHICOを開店させます。

桐生という町です。

地域の恵みをうまく活用し、

田舎でもずっと住み続けられる仕組みを、

創り出したいと考えています。

メンバー登録の方法
ボタンを押すと説明サイトに飛びます。そこでメンバーになってください。
メンバーのご利用について

 

メンバーですが、メンバーではない家族や友人と一緒に利用できますか?

 

はい。メンバーのお連れさまは、メンバーではなくてもご利用可能です。皆さんでお楽しみください。

 

イベントは、メンバー限定ですか?

いいえ。どなたでも参加可能です。ただし、メンバーは割引価格が適用されるので、ちょっぴりお得です。

 

子どもは、入店することが出来ますか?

はい。年齢制限は特に設けていません。大人も子どもも居心地の良い場所を目指しています。ベビーカーも、コミュニケーションを取り合って、柔軟に対応したいと考えています。

 

会費の支払い方法を教えてください。

会費のお支払いはクレジットカード決済をお願いしております。
毎月1日に電子請求書をご登録のメールアドレスにお送りしますので、毎月8日までに当月分の会費のお支払い手続きを行ってください。
(Square請求書の決済システムを使用しています。)

 

メンバーを退会したいのですが、どうすればいいですか?

お問い合わせフォームよりご連絡ください。
恐れ入りますが、退会月の会費の日割精算はありませんので、ご了承くださいませ。

檸檬ケーキが終了

お皿に移そうとしたら、落として、裏返った檸檬ケーキ。笑

神戸店長の妻、みゆきです。

 

今日、無事に檸檬ケーキが最終日を迎えました!

食べに来てくださったみなさん、

ありがとうございました!

そしてちょうどお店がオープンして約半年経ったんです。

半年経ってみて、感じたことがたくさんあります。

 

みなさんご存知の通り、

私には苦手なことや出来ないことが山ほどあります。

そんなことから、とことん逃げていました。

今までは一人で音楽教室をやっていたので、

何も問題はなかったんです。

 

でもマメヒコ神戸を始めたら逃げられないことがあって、

それはチームで働くことと、お菓子作りでした。

 

子供の時からお菓子作りが苦手で、

昨年のパウンドケーキ作りでもヒーヒー言うてました。

かなりハードル高いと思っていたのに、

それよりもさらにさらに高い壁、檸檬ケーキがやってきました。

 

最初は何をやってるか全くわかりませんでした。

ほんまにちんぷんかんぷん。

 

でも何度もやっていると、

ここの作業が後でこうつながるんやな、とか、

ここできっちりしておくと、後できれいに作りやすくなるんやな、

など、少し全体を見れるようになってきました。

 

そして檸檬ケーキを召し上がってくださったお客様は必ず

「めっちゃ美味しかった!」と喜んでくださるんです。

 

オーダー取るときも、

「檸檬ケーキが食べられるのを楽しみにしてました!」とか

「ようやく檸檬ケーキが食べられる~」など、

みなさんとっても楽しみに来てくださったんやなって伝わってきました。

そんなみなさんのお顔を見ていると、

「もっと美味しく作りたい!」と思うようになりました。

 

神戸の檸檬ケーキ作りは、全員野球なんです。

パイ生地を谷田さんが仕込み、私がシャンティを作り、パイを焼き、

店長しげちゃんが檸檬クリームを炊き、

最後に私が組み立てる。

それくらい手間がかかります。

単独行動が好きなので一人で作ります、なんてことは出来ません。

 

パイの焼きが甘い時は、谷田さんと私で話し合ったり、

組み立ての時に上手くいかない時はしげちゃんと話し合ったり。

試行錯誤して上手く行った時はみんなで喜んで、

お客様に喜んでもらった時は、みんなでめちゃめちゃ喜びました。

 

生まれて初めて、みんなと働くって楽しい。

チームで働くと、一人では出来ないことも出来るんやって

胸が熱くなりました。

 

この半年でお菓子作りがめちゃ上手になったってことは

残念ながらないんですが、

このチームみんなで、もっと美味しいお菓子を作りたい、

 

もっと美味しい珈琲を淹れたい、

もっと居心地のいいお店を作りたい!と思っています。

檸檬ケーキの次はキャロットケーキ。

 

(でもやっぱりちょっとドキドキするけど)

キャロットケーキもどんと来い!こちらも楽しみにしていてくださいね。

お店でお待ちしてまーす!

 

写真は檸檬ケーキを始めたばかりの頃、

お皿にひっくり返してしまった時のもの!

今はお皿にちゃんと乗せられます!

壁を塗るとは
三茶と銀座と神戸にあるデコラペインティング。

イベントスタッフの坂本です。

MAMEHICO
は「みんなで場を創っていく」ことを掲げていますが、

そもそも、お店の内装もスタッフやお客さんで作った部分があります。

銀座にも神戸にもある、ペンキでラフな模様をつけた壁がそのひとつです。

こう説明されて、あぁあの壁ね!と思い出せる方は、
どれくらいいらっしゃるのでしょうか。

正式にはなんと呼ぶか分かりませんが、
両店には、「デコラティブ塗装」と私たちが呼んでいる方法で
私たちの手で、ペンキで模様をつけた壁があります。

デコラティブ塗装の手順は、極めてシンプルです。
まず、壁を単色で綺麗に塗ります。
次に、木の欠片の面に、違う色のペンキをつけて、

色々な模様をつけます。
これだけ。簡単そうに思えますでしょう・・・?

でも、やる人が同じであれば、自由に模様をつけているつもりが、
似た模様ばかりが量産されていきます。
自由とは、型とは、

一体なんなのか、思わず哲学的に自分に問いたくなります。
人の動きにはクセがあるんだなぁ、としみじみ感じました。

ちなみに、私がひとりでやったところは、

こんなにださい壁を見たことないわ、
ってくらいださい仕上がりになって、

どうしようかと思いました。笑

じゃあどうやって、

あんなに違う模様を連ねることが出来たのかというと、


それだけ多くの人の手で、模様を描いたからです。
井川さんの指導のもとに、


A
さん→大きな模様
B
さん→小さめの模様
C
さん→変わったかたちの模様
D
さん→違う色のペンキで色を薄く重ねる
E
さん→模様をにじませていく など。

それぞれが同じ場所ばかりで作業せずに、
場所を移動していくと、色々な模様が、

良い感じに並びます。
役割を分担しているつもりはないのに、

気づけば集団のなかで自分の個性が役割を果たしている。
これは、みんなでやることの醍醐味だな~!と感じました。

みんなでデコラティブ塗装をした日から、

半年くらい経ちました。
半年前、そもそも神戸にチームは存在していなかったし、
銀座も、自分ごとのようにMAMEHICO
積極的に参加してくれる人が増えている実感があります。
あと半年したら、デコラティブ塗装より、

もっと面白いことがみんなで出来るのかしら。

デコラティブ塗装の壁を見ると、

私にとっては、過去の思い出ではあるけれど、


未来の楽しみも描かれているな、

と感じます。

おまけ:実は、MAMEHICOの開店前、クラウドファンディングで
みんなで作業をするための、開店支援金の募集をしていました。
みんながお店を作っていく様子は、「活動報告」として、

少しだけアップしてあるので、


もっと詳しく見てみたい方は、ぜひご覧ください~!
https://camp-fire.jp/projects/613654/activities#main

ワーニャおじさんと面白可笑ひこ

MAMEHICO俳優部の永井です。

『ワーニャおじさん』の本番を月末に控え、
そんな時に限って職場の異動が決まり、
引き継ぎやら稽古やらでてんてこ舞いにつき、
日記をサボりがちの永井です。

 

最近、銀座MAMEHICOの定休日にワーニャの稽古をやっている。

 

100年以上前の戯曲を、夜の大都会銀座をバックに再現するのは、

なんともミスマッチで面白い。

 

これまで古典戯曲を演じるどころか、触れたことすらなかったので、
「チェーホフ」なんて古本屋にしか存在しない人だと思っていた。

 

縁あって『ワーニャおじさん』に携わるようになり感じるのは、

結局人間関係なんて今も昔も変わらないということ。

 

人付き合いをしていると、そりが合う人、合わないがいる。

そりの合わない上司がやってきた日には、仕事に行くのが嫌になる。

 

「そり」とは、刀の反り具合のことらしい。


相性の悪さを、「反り具合の違う刀と鞘」に例えた言葉だ。

人間はそり具合の違ういくつもの刀を持ってる。
だから、どの刀を抜いて人に向き合うかで反りのマッチングが違う。

 

何が言いたいかというと、
そりが合わない「人」がいるのではなく、

そりが合わない「部分」がぶつかっているだけということ。

 

人付き合いは、接する「部分」によって破綻もするし、

深い付き合いにもなる。

 

ぼくは「ワーニャおじさん」という人間が好きだ。

ワーニャみたいな人がいたら、友達になりたいと思う。

 

でも、セレブリャコーフという役を通してワーニャを見ると、

なんとも鼻持ちならない人物に見えてくる。

独善的な人間に感じる。

 

ぼくの中の「セレブリャコーフ部分」でワーニャを見ると

鼻持ちならないが、「読者部分」で見ると共感できる。

仮にもしワーニャを演じ、「ワーニャ部分」で見たならば、

セレブリャコーフ許すまじ、となるだろう。

 

そう考えると、人は相反する、

許し合えないものを同時に抱えているのかもしれない。

 

いよいよ今月末。

 

『ワーニャおじさんby MAMEHICO』を観て、

自分のソリを見つめ直す機会にしてくれると嬉しいです。

 

そしてもし、試し切りしたいと思ったなら、

ぜひ『面白可笑ひこ』でお待ちしています。

 

人生経験

みなさん、こんにちは。
MAMEHICO神戸・御影店長のシゲです。

僕の前々職は楽器店。
ここ10年は大人の音楽教室の運営責任者をしていた。


そこではイベントを年に100本以上行っていた。
小さいものでは先生単位のクラスコンサート、

大きいものではサマーソニックをするような会場での

3,000人のお客さんが入るようなものまで。

 

そこでは企画から運営まで幅広く経験させてもらった。

PA(音響)もそこで覚えることができた。


そして今はMAMEHICOでイベントの企画をしたり、PAもしている。

なんか不思議。

 

そして前職は土産店。
そこでは食品発注のコントロール、仕入先の開拓、

賞味期限やロスの管理なども新たに勉強した。

そして飲食店の営業許可を得るには

必須の食品衛生責任者の資格も取らせてもらった。


そして今はMIKAGE MINIで同じようなことをしている。

なんか不思議。

 

人生無駄な経験など無いのだ、と最近つくづく思う。

今、MAMEHICOでやっていることが、

僕の今後の人生にどんな風に影響してくるのかな。
楽しみで仕方ない。

お花を活ける
お花を活けることで、季節の移ろいを感じます。

MAMEHICOのミカです。

MAMEHICOでは店内に季節の花や枝を生けています。
花や葉は時と共に枯れていくもの、散っていくものと様々。
切花は切り口から劣化していくものが多く、

それと共に水や花瓶が汚れていくので
毎日水を替え、悪くなってきたものは切って綺麗なところだけ残したり、

新しいものと入れ替えたり。
日々、様子を見て手を入れながら、入れ替えながら生けます。

切花を飾る習慣がない家に育った私は、MAMEHICOに入った当初、

毎日水を替え、手入れをしていることに驚きでした。


それまで私にとって切花は
「ただ枯れていくだけのもの」という印象で、

手入れをするものだとは微塵も思っていなかったのです。
茎と花器についたぬめりを洗い流し、
新しい水を注いだ花器に花を戻す。
すると、さっきまで素敵な感じに生けてあったはずなのに、

全然素敵にならない!!
やらなきゃいけないからやっていた、

という感じで「やっぱり私にはお花はうまくできないや」と、

毎日の水換えはちょっと憂鬱な作業でした。

でも、そんな私にも転機が。
先輩スタッフが辞めたことで、いよいよ私がお花を買って

生けなければならない日がやってきたのです。
お花屋さんに行くこと自体がほぼ初めて!

の私にとってそれはもう一大事で。
その日のドキドキ感は今でも思い出せます(笑)。
お花屋さんに行き、相談に乗ってもらいながらどうにかこうにか

その日の花を選ぶ。
お店に帰ったら、買ってきた花と
数ある花器をずらりとテーブルに並べて、にらめっこ。
そして、生けてみる。
む、む、難しい

その日から毎週毎週お花を買っては生けての日々が始まりました。

自分で買った花だと途端に変化も気になるもので
すぐに散っちゃったり、萎れたりすると、
見る目がなかった!と反省し、
繊細そうに思っても長く咲いているもの、

花が終わっても葉が出てきて長く楽しめるものを見つければ、

一つ勉強になったと思う。

そんなこんなを繰り返すうちに、

苦手だった花を生けることに段々と楽しみを見出せるようになりました。
自分なりに良いと思うようには生けられるようになってきたし、

花の名前も気がつけば随分とたくさん覚えました。
内装は簡単には変えられないけど、

花や枝が変われば店内の雰囲気がガラッと変わるのも毎度面白い。

そして何より、気にかけて手入れすれば思ったよりも長持ちするし、

雑に扱えばあっという間にダメになってしまうので、

生き物を扱うということは

自分を見つめ直すのに良い機会になるなぁと思います。

これはいざ、自分がやるんだと腹を据えて向き合ってみなければ

たどり着けない境地でした。
楽しめなかった、苦手に思っていたのは
自分事じゃなかったから
なのでした。

私はここで、花木で室内に季節感や彩りを取り入れるという

愉しみを知ったので、少しでもその愉しみを皆さんにも

お届けできたら良いなと思って日々やっています。

届いたお便り

神戸のメンバーからこんなお便りが届きました。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

神戸の春の風物詩 いかなごのくぎ煮

今年は3月4日が、いかなご漁解禁日でした。

 

いかなご発祥の地とうたっている(何ヶ所かあるらしい)私の住む町では、

例年シーズンになると、

商店街の魚屋におばちゃん達の列ができ、

水揚げされたばかりのいかなごの到着を待つ間、

今年のいかなごの大きさと値段、各家庭のこだわりレシピ、

何キロ炊いて誰に送るかという、

ほぼ毎年同じ内容の会話がしばし繰り広げられた後、

いかなごが到着するやいなや、みなそれぞれに持ち帰り、

しばらくするとあちこちの家からいかなごを炊く匂いがしてくる。

 

これこれ、あぁ春がきたなと思う瞬間です。

 

私は地元民ではないけれど、引っ越してきてすぐ、

この辺ではみんな炊くのよとお隣の奥さんに炊き方を

教えてもらって以来気に入って、

毎年母と2人で家内工場ばりにたくさん炊いては

田舎の親戚や友人に送りまくっていました。

 

ここ数年はいかなごの値段が高騰してたのと、

そもそもあっという間にシーズン終了となりタイミングも合わず、

遠ざかっていました。

今年も解禁日に1kg4,000円と聞いてたので、

高すぎる~😭と諦めてました。

 

たまたま今日、なんか電話の調子が悪いと呼び出され、

商店街付近の母の家に行った帰り、

ちょうどいかなごが水揚げされてきたとこに遭遇。

一応確認すると今日は1kg1,800円!これはお買い得てなわけで、

3年ぶりくらいに母と一緒にいかなごを炊いています。

 

吹きこぼれないギリギリの強火をキープして炊く火加減が難しく、

もう2時間くらいコンロ前で立ち尽くしてる感じとか、

母とあれこれしょうもない会話をする感じとかよい時間。

 

久しぶりに田舎の親戚に送れると喜ぶ母を見て、

親孝行な娘やろと恩着せがましく言い、

今日の晩ご飯ごしらえを母にさせている今です😁

 

今夜はいかなごとみんな大好きばあちゃんのご飯とで、

米の消費量が半端ないだろう見込みの我が家からでした。

 

みなさんは、いかなご炊きますか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

銀座のメンバーからこんなお便りが届きました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ちょっと長い個人話です。

 

関西に嫁いだ叔母の義父なので、ワタクシとは血のつながりはない。

 

笑顔がすてきなおじいさまであった。

地元の産婦人科医として、長年たくさんの赤ちゃんをとりあげてきた。

50ccのスクーターでどこでも行く。

ワタクシも従兄弟もまだ幼かったころ、
叔母のうちのリビングで遊んでいて、
ふとみると、窓から顔だしてのぞいている。

「ユカコさんがいらっしゃってると聞きましてね。」とふらっと現れる。

忙しいからすぐいなくなるが。 

そういや子供に対しても必ずきれいな言葉を使っていたなあ。

 

よく面白い話をしてくれたのだが

最後は必ずエグくてグロテスクなオチがある。

子供達がキャーキャー怖がると、

それをみてカラカラと笑っていた。

 

初対面のとき、母は当時流行っていた
ミンクの帽子をかぶっていたそうなのだが、

「おねえさまは、お若いのに総白髪でらっしゃるんですね。」

とか言われたらしく、

とにかく冗談いわないと気が済まないのよねえ。ほんとに面白い人だわ。

と、ことあるごとに話していた。

 

今ならわかる。あまり意味のない贅沢を揶揄したのだろうなと。

 

亡くなったとの報せに、仕事終わりに駆け込みでお通夜に参列した。

夜も更けた頃、親族だけがそろった場で、

誰も乗ってくるはずもない葬祭場のエレベータが上がってきて扉が開いた。

 

その場にいた人がみんな、

「あらおじいさまいらっしゃった。最期まで驚かすんだから。」

と笑った。そんな人だった。

 

何回目かの法要のとき、彼が残した日記と、書き付けをみせてもらった。

朧げな記憶なのはご容赦いただくとして、そこには

ラバウルに軍医として赴いていたこと、

仲間のほとんどが戦死して一緒に日本に帰れなかったこと、

自分だけが生き残って申し訳なく思うこと、

これからは帰ってこられなかった人たちへの償いの人生を生きるということ、

が書いてあった。

 

これを書いたのはおそらく20代くらいだったろう。

80歳と少しで彼岸にいくまで、ずっと朗らかだった彼が

そういう思いで生きてきたのかと。

でもそれはただの諦念ではなかったのだと思いたい。

 

大人になってから、ちゃんと話がききたかった。

聞いても、語らなかったかもなとも思う。 

もう遅いけど。

 

「なんにもしないのに

こんなに長く生きさせてもらったのはみんなのおかげです

ひとりひとりの名はあげませんが

~~有縁無縁の人々に感謝しています

みんなの幸せを祈ります」

 

核家族化してから、こういう人の背中を
みることができなくなったのはとても残念なことだな。

あなたのことを教えてください

井川です。ボクたちもせっせと、ボクたちの考えていることを伝えます。

そして、どうかみなさんも、みなさんの普段考えていること、本当のワタシを、フォームまたは、info@mamehico.comまで送ってください。

匿名でも構いません。

 

雑話会をやると「ああみんなこんなに、胸のうちを話したがっていたんだ。聞いてほしかったんだ」と感じています。

 

ここで掲載できそうな話題は掲載します。
そのときは「掲載していい?」と確認します。

 

ぜひ、あなたのことを教えてください。

お待ちしています。

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