おはようございます、

 

中元 礼子です。

 

 

 

先日は仕事がお休みだったので、

 

電車に乗って隣町まで行ってみることにしました。

 

 

 

いま滞在中の この町は、人口7,000人ほど。

 

昼間の電車は2~3時間に一度 電車が行き交う程度のダイヤです。

 

 

 

帰りの電車も本数が少ないので、

 

「絶対これに乗り遅れないように!」の時間に

間に合うよう、小さな駅へ向かいました。

 

 

 

 

・・・ちょっと勘違いして、

30分も早めに到着してしまいました。

 

 

 

でも、早い分にはまあいいや。

 

ひと仕事して待っておこう。

 

 

 

窓口で、テレビを見ていた駅員さんに声をかけ

往復切符を買い、

 

 

「これはどちらのホームから乗るのですか?」

 

と訊いてみました。

 

 

 

「ええとこれはね・・・2番ホームです。

 

 

そこの階段を登って・・いえ、この建物の中の階段じゃないです。

 

そこ登ったら2階で公文教室やってっから。

 

 

 

そうじゃなくて、

 

そのガラス扉を開けてホームに出るでしょ?

 

 

手前が1番ホーム。

 

 

その、外の右手にある階段を登っていって、

 

向こう側にあるのが2番ホーム。

 

 

そっから乗って下さい。」

 

 

はーいとお礼を言い、

 

構内に腰かけてひと仕事することにしました。

 

 

途中、地元の方らしいおばあちゃんが

よいしょ、よいしょと呟きながらやってきて

 

窓口で駅名を告げています。

 

 

”あ、このおばあちゃんも私と同じところへ行くんだなー。”

 

 

 

 

 

小さくて静かな駅です。

 

 

駅のそとで、

郵便配達のおじさんが誰かと立ち話をしている声が聞こえてきます。

 

 

おじさんずーっと話してるけど、

配達しなくていいのかな。

 

 

 

ぼんやりそんなことを思いながら、

 

 

ひと仕事終えたので

すこし早いけどホームで電車を待つことにし、

 

階段を登って向こうの線路に渡りました。

 

 

 

 

いや~・・。

 

この駅に初めて降り立った時は一面の銀世界だったけど、

 

 

もう春が近づいてきたので

土の色が見えてきたなー。

 

 

 

どれ、向こうに見える白馬連山を背景に

この辺りの写真でも・・パシャリ。とやっていると、

 

 

向こうから反対方向行きの電車が入ってきました。

 

 

 

2両編成でゴトンゴトンとやってきて、かわいいな。

 

どれこの電車も記念に撮っておこう・・・。パシャリ。

 

 

 

反対側の線路に入ってきた電車を写真に撮り、

 

ふと車内に目をやると

 

あの一緒に待合室で待ってたおばあちゃんも乗りこんでる。

 

 

 

・・ん?

 

 

あのおばあちゃん、私と同じところへ行くんじゃなかったっけ?

 

 

そういえばこの時間って、

 

私が乗るつもりの電車も来る時間だよね。

 

 

 

この電車が行ってしまってから、お目当ての電車が来るんだよね?

 

でも、向こうから来る気配がないね。

 

 

 

・・・ひょっとして、

 

いま向こう側に見えている電車って、

 

私が乗る電車・・・?

 

 

 

なにかおかしいと気付いて向こう側へつながる階段を登り始めた時に、

 

ピリリリ~と発車のベルが鳴り、

その電車は静かにゴトンゴトンと走り出しました。

 

 

走り去ったあとで時計を見ると、

 

時刻は私が乗る予定を1分ほど過ぎています。

 

 

 

・・・・・ああ。

 

 

いまのが、私が乗らなきゃいけない電車だったんだ・・・

 

 

 

 

ふたたび静かになった小さな駅で呆然としながら、

 

窓口のガラス戸を開けて

 

「今の電車って、大町に行くやつだったんですね・・

 

私間違えて、向こう側の線路に立ってました。」

 

 

と テレビを見ているおじさんに聞いてみると、

 

 

「・・・ん?

 

もう行っちゃった?

 

ああそう今の、大町行きですよー。

 

 

ありゃー次の電車は2時間後ですねえ。」

 

というのどかな返事。

 

 

 

その後の予定を考えると

 

もう2時間後に再び乗ることは無理だと判断し、

 

 

隣町まで行くことは諦めました・・・・。

 

 

 

 

 

 

とぼとぼと帰りながら、

 

そういえば、あのおじさんに懇切丁寧に

乗るホームを間違えて教えてもらったことや

 

買った往復切符がカバンの中に入ったままであることを思い出し、

 

 

 

乗る線路を間違えて教えられたので

 

それを理由に払い戻しすればよかったかな?と思ったり、

 

 

その切符には“2日間有効”と書いてあるので、

 

明日は仕事に行かなくちゃだけど

せっかくだから明日の朝めっちゃ早起きしてちょっとだけ電車の旅を楽しむか?

 

と思ったり。

 

 

 

とぼとぼと歩きながら

 

”まあ、今日は普段手つかずだった調べものをすることにしよう”と

予定を変更し、

 

 

なんかこの、

 

電車に乗れなかった経緯をよくよく思い出してみると

 

「間違ったホームを教えてもらったから乗り損ねた」のは理不尽なんだけど、

 

なんか腹の立たない感じを最近経験したなーと考えていたら、思い出しました。

 

 

 

 

3ヶ月前の、父の臨終です。

 

 

 

自宅で転倒し

頭を強打したらしく

 

鼻血が止まらなくなった父は

 

 

救急車で病院に運ばれ、

 

このまま寝たきりで5~10年、

家族は介護施設に通うことになるだろうと告げられました。

 

 

 

駆けつけた集中治療室のベッドの上で

 

ろれつが回らないながらも「分かる」と何度も言い

 

力強く手を握り返す父を見舞いながら、

 

これから先の介護生活を覚悟した私たち。

 

 

ですが、

 

 

脳内に出来た血腫を取り除く手術をしたあとに

 

父の容体は急変。

 

 

「すぐ病院に来てください。」

 

という看護婦さんの電話で駆けつけた時には

人工呼吸器を取り付けられ、

 

風船のように膨らんだ頭に切開とホッチキスの跡のある、

 

目を閉じた別人のような父がいました。

 

 

もう昨日までの生命力はどこにも感じられず

 

命の灯が消えるのは数時間以内であることが

一瞬で見てとれました。

 

 

 

時はお正月の三が日。

 

広い集中治療室のなかに

お医者さんはおらず、

 

危篤の老人が4~5人寝かされているなかで

 

看護婦さん達が走り回っています。

 

 

 

これを言うと今生の別れを告げることになると思い

 

昨日まで口にしなかった「お父さん。ありがとう」という言葉を父にかけ

 

ゆかたの胸に頬をよせるとまだ身体は温かく、

 

 

ああこうやって小さい頃、

 

日曜の朝によくお父さんのあったかい布団にもぐり込んで絵本を読んでもらったなあ

 

なんて思い出していたら若いインターンのような白衣の男性がやってきて、

 

 

心電図や瞳孔をチェックして父の臨終を告げました。

 

 

 

 

そのあと一切 担当医から何の連絡も来なかった事に対して

 

私の夫や妹の夫が「この容体急変について、せめて説明を病院に求めた方がいいのでは?」と言ってくれたのですが、

 

 

母も妹も私も、

 

そのまま何も言わずに

郵送されてきた病院からの入院費を支払って終わりました。

 

 

 

たしかに追求できなくはない状況でしたが

 

訊いたところで担当医が何を口にするかというのは

想像でき、それを聞いたところで何になるのか。

 

 

それよりも、

 

勤務時間が終わり帰り支度をしていた看護婦さんが

居残って父の臨終を見届け、

 

私たちに言葉をかけて下さったこと。

 

死化粧をしてくださったこと。

 

 

お父さん美川憲一のようだねと妹と囁きあっていると、

 

「お父様のラケット、ありました!」と

 

父の手に持たせていた愛用の卓球ラケットを

 

別の看護婦さんがわざわざ霊安室に持ってきてくださったことなど。

 

 

そんな心遣いをして頂いたことでもう、

充分だったからです。

 

 

 

足腰が弱くなっていたのは父の寿命ですし、

 

 

ふだんから家の中を片づけていなかったので

 

何に蹴つまづいたか知りませんが、これも父が自分で引き起こしたこと。

 

 

86年という時間をもらって

一日一日をどう生きたかが大事で、

 

何が原因で死ぬかというのは、

大した問題じゃないと思うのです。

 

 

 

翻ってこの日、

 

駅員さんに間違ったホームを教えられ電車に乗り損ねた私でしたが

 

 

 

私と同じ駅に行きたかったおばあちゃんは

 

ちゃんと正しく乗れていたわけです。

 

 

 

だから、

 

私がもっと注意深くなって

よく確認をすれば「おかしいな?」と気づくチャンスはいくつかあったのに、

 

それをしなかったから招いた結果だった、ということ。

 

 

 

切符は、今後の行動に注意を促すため

 

とっておくことにしました。

 

 

 

 

 

ものごとは全て、

 

「こう考えなくてはいけない」という

絶対の正解などどこにもないのに、

 

 

往々にして

 

「普通こう考えるよね」

みたいな強い流れがあり、

 

うっかり それに乗らないといけないのかな と思ったりするものです。

 

 

 

が、

 

 

手放してはいけないのは

 

「世の中からの”こう考えるべき”という思考の強制など どうでもよく、

 

自分が納得する選択をする」こと。

 

 

 

それは自分の人生を生きるということなのだな、と今回の一件から考えた次第です。

 

 

 

 

ちなみに今回のタイトルは、

 

詩人である茨城のり子さんの

「自分の感受性ぐらい」という詩のタイトルです。

 

 

最後が

 

「自分の感受性ぐらい

 

自分で守れ

 

ばかものよ」

 

 

という言葉で締めくくられるこの詩。

 

 

 

 

初めて知った時、

 

その凛とした在り方に衝撃を受けましたが

 

 

いま読んでも本当にその通りだと

 

襟を正される詩です。

 

 

 

 

 

本日もよい一日にしましょう。

 

 

 

中元 礼子

 

 

 

 

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