おはようございます、

 

中元 礼子です。

 

 

 

5ヶ月前に亡くなった父の資産の あと始末をしていくために、

 

遺された母と妹、私の3人で月に一度 実家に集まっています。

 

 

 

 

その間にも こまごまとした事務手続きがあるので、

 

 

それぞれが忘れないように

 

思い出した事を共有できる、

 

「ジャムボード」というものを使っています。

 

 

 

 

 

 

ジャムボードは、例えるなら 

 

冷蔵庫にメモを貼っておくような感じで、覚書を共有して使えます。

 

 

 

 

外から帰ってきた時にそこを見れば

 

ザッと要件がつかめるので、

 

  • やることを忘れないようにする

 

  • やることに対して、新たに浮かんだ考えを加えながら進めていく

 

・・うえで、とても便利です。

 

 

 

わが家は 父が銀行の手続きや管理などをやっていたので

 

今度は私たち子ども二人が その手続きを引き継いでいます。

 

 

 

なにも詳細を聞いていなかったので

 

探偵のように 父の足跡を追っているここ数か月。

 

 

 

父は毎月の給料の中から少しずつ

 

母名義で貯金をしており、

 

それがまとまったお金となって母に残されておりました。

 

 

 

 

父は晩年、足腰が思うように動かなくなり

 

お風呂に入るのも大儀だったようであまり入らなかったため

 

 

 

母は「おとーさん、もー臭いからイヤだ!」

 

「おとーさんのごはんばっかり作って、お母さんもう疲れた。

 

お父さん、もう(逝っても)いいよ」なんて本人に向かって言ったりするものですから、

 

 

娘の私たちが

 

こら、私たちにお金がかかった頃には

 

“いまお父さんに死なれちゃ困る”なんて言ってたでしょうが。

 

なんて都合のいいことを・・ と諫めると

 

 

「いいといいと。おとーさんこんなこと言ったっちゃ、なーんも怒らん人やけん」

 

とペロッと舌を出したりしておりましたが。

 

 

 

父は家の中で転倒し、そのまま逝ってしまったものですから

 

これから先、いつまで老々介護の日々が続くのだろうとため息をついていた母は、

 

 

「あーあ、お父さんにお赤飯食べさせようと思って

 

この小豆パック買ってたのに。

 

あーあ、このミートソースも、スパゲッティにしたらお父さん食べるかなーと思って買ってたのに。

 

あーあ、もっと早く食べさせときゃよかった・・」

 

と何かにつけ、父に食べさせてやれなかったことを悔やんでいます。

 

 

ミートスパゲティを食べ損ねた父から

 

自分名義で貯金をしてもらっていたと知り、

 

 

母は「ええ・・・?お父さんずっと一緒におったのに、そんなことお母さんにひと言もいわんやったよ」

 

と驚く母。

 

 

 

+++++

 

 

その昔、

 

私には子どものような母と相容れなかった時期がありまして。

 

 

同じ家に住みながら一年もの間

 

口をきかなかった私と母の硬直状態が、

 

 

妹の「もうこんな状態イヤだ」のひと言で破れた夕食がありました。

 

 

妹の言葉を受けて

 

「出て行こうとするあんたのせいで面白くないんだ」と私に向かって口を尖らせた母に対し、

 

父は「子どもはいつか出ていくものだから」と諭しました。

 

 

 

 

いま、父の姿形は在りませんが

 

彼が生きている時に抱いた想いは

 

私たちを、事あるごとに動かします。

 

 

 

翻って、私たちのいまの想いは

 

いつ、どこで花が咲くか分からないのが面白いですね。

 

 

 

だからこそ、これまでの膨大な記憶は財産だし

 

いまの言動がいくらでも誰かを幸せにする種まきになるのだ、と

 

その貴重さに思い至ります。

 

 

 

 

そんなことに気づかされたのは、

 

「利他は、受け取る時に発動する」という文章からです。

 

 

 

 

 

SDG’sに象徴されるように、

 

「他の人のことを想って」というコンセプトが

 

いささか流行りの考え方になっている昨今。

 

 

 

「誰かのために」と掲げるどこかに

 

ウソ臭さや鈍さを感じ、

 

 

時に 人とのやりとりにおいてモヤモヤする私たちに

 

ひとつの視点を提案してくれる、とハッとしたのがこの文章でした。

 

 

 

たとえば、子どもの頃に大人から言われた言葉が

 

何十年後の自分に肚落ちする、など。

 

 

 

「誰かのために」は、

 

与える時ではなく 受け取る時に発動するのですね。

 

 

 

これは、先日の読書会で本を読んでいて出会った視点なのですが、

 

そんなふうに、本と人との会話から偶然に

 

 

自分のなかの

 

まだ言語化できていない思いがクリアになる瞬間が、

 

 

本を読み、皆で得たものを共有する面白さの一つですね。

 

 

 

 

+++++

 

 

 

あの頃の母にとっては

 

精一杯の選択だったのだろうなと これからも

 

言動のあれやこれやが私の中で新鮮に立ち昇る瞬間がくるのだろうと思います。

 

 

 

そんなふうに ものごとの、

 

見えてなかった側面を見せ

 

ハッとさせてくれるのが

 

読書会の魅力ですね。

 

 

 

7月末まで無料で毎週やっていますので、

 

いっしょにやってみたい方はこちらからどうぞ。

 

 

nakamoto@m.cln.ne.jp

 

 

 

それでは。

 

 

 

 

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発行責任者 中元 礼子

 



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