" 巣の精神 "
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女王蜂はけっして人間的な意味での女王ではない。 命令をくだすわけではなく、 むしろ仮面にかくれたみごとなまでに賢いひとつの力に、 一介の臣下と同じように、 仕えているにすぎない。 その力がどこにあるかはこれから見ていくことにして、 それまではそれを 「巣の精神」 と呼ぶことにしよう。
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こう表現するのは、モーリス・メーテルリンク。
著書の 『蜜蜂の生活』 (1901) は、彼をノーベル文学賞受賞に導いた代表作です。
「巣の精神」 とは、以前にもこのWebレターで記載した「超個体(※1) の意思」 だと思っていました。
でも、読み進めていくと少しニュアンスが違うように思うようになりました。
メーテルリンクは " 巣の精神 " について、さらに こう記しています。
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「巣の精神」 は容赦することはないが同時に控えめなやり方で、 ちょうど偉大な義務に従っているとでもいうように、 この翅をもった民族全員の富と幸福、 自由と生活を、 自由自在に導いてゆく。 それは毎日のように出産の数を調整し、 野を明るく照らしている花々の数にそれを厳密につりあうよう とりはからう。 またそれは女王蜂に廃位や出発の必要性を告げ、 競争相手を産むよう強制する。 そしてその競争相手たちを女王蜂になるにふさわしく育て、 産みの母の政治的な憎悪から守ってやり、 そしてその最年長のものが、 女王の歌を歌ってる他の妹たちを、 ゆりかごの中で殺してよいかどうかを決定する。
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「超個体」を人間に例えると、ひとつひとつの個体が ひとつひとつの細胞。
では 「超個体の意思」、いわゆる人間の意思は 常に外に向いています。
つまり、胃は食べ物が入ったら消化しなさい とか、心臓はこういうリズムで動きなさいなど、内向きに意識しません。
でも " 巣の精神 " は、少なくとも内にも向いています。
ここにどんな意味があるのでしょうか。
・・・
少し哲学的になって恐縮です。
もちろんここで 答え を出すことなんて出来ませんが、
日本が抱える問題のひとつである少子化や、
最近とても多い 自然災害や、
そして歴史を遡るところの戦争など、
これらを思う時、 ある意味パラレルな、ある意味縮図である みつばち の世界を観ることで、
個人の感情や宗教観を超えて、客観的に考え進めることが出来るのではと思うのです。
※1
「超個体」・・・多数の個体から形成され、まるで一つの個体であるかのように振る舞う生物の集団のことである。(Wikipedia より )
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