神戸から大阪へ向かう30分の間も、胸の高鳴りは止まず、大阪駅で出発を待つ「なにわ」号の1等車の真っ白なカバーのリクライニングシートは、2等車のボックス席とは子供の目にも雲泥の差で、どれほど眩しく映ったことか。
天井に数多く回る扇風機とフルオープンの窓はまるで夢の世界へ旅立つ「シンデレラの馬車」のようだった。 クーラーなど夢のまた夢の時代である。
後年に乗った国際線航空機のビジネスやファーストクラスよりも感激は大きかった。
伯母に見送られて大阪を出発、通り過ぎる車窓を飽くことなく眺め、停車駅ごとに繰り返される車内放送では、初めて聞く駅名や乗換え列車、行き先に妄想は深まるばかり。 すれ違う列車はまるで異国の地へ向かう列車のように映り、通過する駅は映画の1場面を見ているようで、1人旅の不安はどこかへ飛んで行ってしまった。
「乗車券拝見」
とやってきた車掌さんは、子供の1人旅に驚いたのだろう、
「ボク1人?」
半ズボンの少年は「そうです!」と答えたが、
固まってしまったのは車掌さんのほうだった。
前の座席のご夫婦は、東京へ着くまでいろいろと心配してくれ、菓子などを差し入れてくれた。
窓にへばりついたままだった私が、ふと気が付くと、横浜到着のアナウンス。
急に母が恋しくなってきた。
なぜか東京までの残り30分ほどの旅路が長く感じ、東京駅のホームに見つけた母の顔に安堵したものだった。
後年、切符を買ってくれた伯母から、母はこっぴどく叱られたと聞かされた。
子供に一人旅をさせたことではない。子供の分際で1等車に乗せるとは身分不相応もいいところ、いったいどんな教育をしているのかと。
私は伯母には
「子供1人では2等車は危ないので、
安全な1等車に乗るように母に言われた」
とウソをついて切符を買ってもらったのだった。
我が家にはまだ固定電話さえも無い時代だったので、伯母は確かめようもなく、私の言うままに、やむなく1等切符を買ったのだという。
伯母と母をだましてしまったのは申し訳なかったが、一生の宝物となる1人旅をさせてもらったことに今でも感謝している。