【平和】
ヨーロッパでの生活では、紛争や戦争は、日本で生活している時よりも身近にありました。
同世代のクロアチア人やセルビア人は紛争を経験しています。クロアチアでコンサートに出演した翌日、共演したセルビア人と共に郊外の街を歩きました。終戦から27年が経つ今でも、爆撃を受けた建物がそのまま残っていました。演奏会では、クロアチア人とセルビア人が入り混じり分け隔てなく一つのステージを作り上げましたが、一度街にでると、彼のセルビア訛りのクロアチア語に反応した市民から差別を受けることは日常茶飯事だそうです。当時の出来事や亡くなった家族、友人たちの話、そして現在も続く苦しみの話をしてくれた友人の、深い悲しみを湛えた目は今でも忘れられません。
旧ソ連出身の友人からは、ソ連が崩壊したために着の身着の儘、寒さに震えながら一家で亡命し、食べるものも無い、辛い子供時代の記憶を話聞いたこともあります。
ウクライナ人の友人は、ロシアとの間にいつ何が起こるかわからないからと、他国の国籍を取得する準備をしていました。
私がザルツブルクに住んでいた2015年、シリアから沢山の難民がドイツを目指して移動しましたが、ザルツブルクはその通過点にありました。日常の風景が一変し、駅の周りは路上で寝泊まりする人々で埋め尽くされ、ドイツへ向かう電車は段ボール箱を抱えた人々で満員になっていました。
直接触れた戦争や紛争の空気は、肌に突き刺さり、胸が締め付けられました。