【表現への道しるべ。古楽の感性と、現代の音】
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が大変ご好評をいただき、その流れを受けて、新たな「シューベルト・シリーズ」の第一回が4月にありました。共演は、古楽器奏者として名高い川口成彦さんです。
使用したのはモダンピアノでありながら、川口さんの演奏には常に古楽的な感性が息づいていて、それに触発されながら音楽を紡いでいくのは、まるで時代と時代のあいだを旅するような豊かな時間で、普段以上にシューベルトが生きていた時代の空気を想像しました。
19世紀初頭のウィーン。蝋燭の灯り、木の床のきしみ、居間に集まる聴衆たち。彼の音楽が生まれた空間を思い描くことで、自然と音の運びや間の取り方、重心の置き方が変わっていきます。たとえば、あるフレーズを「歌う」際にも、あたたかく語りかけるように。言葉のない音楽に、語りのリズムや呼吸が宿ります。
シューベルトの時代に主流だった“フォルテピアノ”は、木製の軽やかな構造に革巻きのハンマーを備え、タッチの違いによって細やかな表情をつけることができる打弦楽器です。その前の時代に使われていたチェンバロは撥弦楽器といわれ、弦を小さな爪ではじいて音を出す楽器です。この爪は昔は鳥の羽軸(カラスの羽など)で作られていました。ピアノのように鍵を強く押しても音の大きさは変わらないため、弾き方で強弱をつけることはほとんどできません。フォルテピアノの登場によって、鍵盤楽器の表現の幅が広がったのです。
一方、現代のスタインウェイのようなモダンピアノは、鉄製のフレームと張力の強い金属製の弦を持ち、大ホールでも響き渡るように設計されています。構造としては全く異なる楽器ですが、川口さんは今回使用した、渋谷美竹サロンのスタインウェイについて「弱音がとても表現しやすく、弾きやすい」と話していました。その言葉通り、彼の奏でる音はまるでフォルテピアノの音色を彷彿とさせるように軽やかで、語りかけるように繊細です。現代の楽器を通して、当時の息づかいや詩情が立ち上がってくるような瞬間が存在していました。
私も普段はモダンセッティングのヴァイオリンで演奏しています。スチールやナイロンなどで作られた現代的な弦は、安定性と反応の速さに優れ、明るくはっきりとした音が出やすい反面、音色の柔らかさや自然な減衰といった点では、ガット弦とは異なります。19世紀当時のヴァイオリンは、羊腸から作られたガット弦を使用しており、そこから生まれる音は、より柔らかく、包み込むような深みを持っていました。
同様に、弓の使い方にも微細な調整が必要になります。現代の弓は、中央が内側に反っており張力も強く、均一な音を出しやすい設計です。それに対して、バロックや古典期に使われていた弓は外側に反り、先端が軽く、自然とフレーズの終わりが細くなっていくような設計でした。どちらが優れているというわけではなく、それぞれが時代の音楽にふさわしい機能を持っています。今回のように、モダン弓であっても意識を変えて、弓が語るようなフレージングが生まれるよう、強く押し出すのではなく、音と音のあいだに呼吸を残すような弾き方を意識しました。
もうひとつ大きな違いとして挙げられるのが、ヴィブラートのあり方です。現代では音に厚みや感情を加える手段として、常時ヴィブラートをかけることが一般的になっていますが、18~19世紀初頭までは、ほとんどヴィヴラートは使わずに、「必要なときにだけ控えめに使う」装飾としての役割でした。今回の演奏では、ヴィブラートを意図的に減らし音そのものの質感で語りかけるような瞬間を作りました。「かけないことで見えてくる音の芯」や、「あえて素の音で語る勇気」のようなものを改めて感じました。音の輪郭がより鮮明になり、楽譜に書かれた音の意味が、浮かび上がってきたように感じました。
古楽器の演奏には、「正しさ」を追求する側面もあります。時代に即した奏法や装飾、テンポ感など、史料に基づいたアプローチが重要視されます。しかしその一方で、私はそれを「正解を再現する」行為だとは思っていません。むしろ、その時代の「感性」にどれだけ寄り添えるか、その美意識や文化的な価値観に触れようとする試みだと感じています。
川口さんとの共演は、そうした可能性を再確認させてくれる、実り多い時間となりました。
次回以降のシューベルト・シリーズでも、また新たな発見や対話が生まれる予感がしています。どうぞ引き続き、温かく見守っていただけたら幸いです。
さて、先月は新たな出会いと挑戦がありました。
4月最初のコンサートは、資生堂創業企業である福原グループが新たに開設した文化拠点「La Salle F」にて。春の息吹を感じながら、小林侑奈さん、グレイ理沙さんとともにピアノトリオをお届けし、それぞれのソロ演奏も交え、ベートーヴェンとメンデルスゾーンの名曲に取り組みました。盛りだくさんのプログラムに、最後まで熱心に耳を傾けてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。
続いて、先述した川口成彦さんとのシューベルト・シリーズ第一回。
陰影に富んだしなやかなシューベルトの世界を描きました。ありがたいことに、シリーズの続編を楽しみにしているというお声も多くいただき、次回予定している大曲に向けて、より一層気を引き締めて準備を進めて参ります。
さらに、プライベートなコンサートで2台のヴァイオリンとピアノによる特別なプログラムをお披露目しました。スイスで共に学んだ尾池亜美さん、ミュンヘンで共に研鑽を積んだ則行みおさんという心強い仲間たちとともに、初めて挑戦するレパートリーに取り組みました。2台のヴァイオリンが、時に織り合い、時に火花を散らすように交互に語りかけるやり取りが、音楽に新たな色をもたらしてくました。
そして4月最後には、「おんかつ」(公共ホール音楽活性化事業)のプレゼンテーションに臨みました。全国のホール関係者を前に、これからどのようなアウトリーチやコンサートを実現したいかを、演奏とトークを交えながら発表する機会です。普段以上にトークの比重が高く、かつ時間厳守という条件の中、事前に何度も演奏とトークのイメージトレーニングを重ねて本番に臨みました。自分自身の想いを言葉に乗せ、直接届けることの重みを改めて感じた経験となりました。
4月末から5月にかけて、海外での演奏活動を重ねています。
フランス、ドイツ、そして中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス。それぞれに異なる土地、異なる空気の中で演奏できることに、心が高鳴ります。
旅の様子や公演のご報告は、また次回以降のニュースレターでお届けしたいと思いますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
6月には国内でのコンサートも予定しております。
1日には横浜にてクルージングとお食事、そして演奏をお楽しみいただく特別な会へ。
14日は渋谷美竹サロンにて福原彰美さんと、新しくリリースしたCD「翼」の発売記念コンサートです。
新しくお借りしているアマティも、少しずつ目を覚まし始めています。
作品に込められた愛と葛藤、カップルのドラマチックな物語を、ぜひ生で感じていただけたら嬉しいです。
皆様と会場でお目にかかれることを、心から楽しみにしております。
レ・ゼール~翼
ヴァイオリニスト鈴木 舞とピアニスト福原彰美が満を持して録音!フランクとルクーの傑作ヴァイオリン・ソナタ2曲を、新結成デュオ「Les Ailes(レ・ゼール)」の記念として、長年磨き上げた渾身の演奏で届ける!
永遠の名曲、物語性あふれるフランス音楽のプログラム ライブ感溢れる情感豊かな演奏をお届けします。 https://maiviolin.com/lesailes/
2020年から「鈴木舞 後援会」が発足し、会員の募集がスタートしました。
後援会主催コンサートへの無料ご招待や懇親会へのご案内、一部コンサートの優先案内・優先予約、オーディオ付きお誕生日メールなど盛りだくさんの特典をご用意して入会をお待ちしております。 詳細はこちらからご覧ください。
https://maiviolin.com/fanclub/
鈴木舞 デビューアルバム マイ・フェイバリット ”Mai favorite” ピアノ:實川風、山田和樹 大好きなフランス音楽の中でもお気に入りの曲を集めました。タイスの瞑想曲 などの名曲から、愛と死、そして政治をもテーマに据えたプーランクのヴァイオリン・ソナタ。銘器、アマティの音色でお楽しみください。