■ Column 工房長のサイケデリックな日々 Vol.20
テーマ「アーカイブス」
年度末も相まって、
忙しさに追われ、気が付けば6回目の311を迎えた。
311といえば早いもので石巻工房の立ち上げから6年、法人化して3年目になる。
「石巻工房は、部品を拾い集め、組み立てながら飛んでいる飛行機のようなもの」
立ち上げの頃に、芦沢がよく言っていた言葉だ。
ただガムシャラに突き進んできた工房がこうして6年目を迎えられることは、
あの頃の私は夢にも思わなかったわけで…
パラレルワールドがあるとすれば、
私は今頃アメリカ人になっていたかもしれないし、
人知れず世間を斜めに見ながら薬局の店員をしていたかもしれない。
いや、可能性の順序としては家業の鮨屋をやっているのが本筋か。
人生は選択の連続であり、タイミングと思い込みで思わぬところに辿り着く。
山形県は東根市にある「まなびあテラス」で開催される石巻工房アーカイブ展
「石巻工房の家具2011-2017」。
この6年間に工房で製作した60を超えるプロダクトを、
倉庫の片隅、敷地の奥から引っ張り出して1つ1つ見せていこうという試みだ。
中には図面やスケッチしか存在しないプロダクトもあるが、
その展示の為に東根の関係者各位が集い、思い出話よろしく記憶をたぐり寄せた。
忙しさのあまり忘れていたあの頃を思い出せて感慨深かったのはいうまでもないが、
本当にあの頃は酷かった(笑)
1つの作品の中には笑える話、ムカつく話、唸った逸話が必ずある。
私が1人でベンチを作っていたときから始まり、
一緒に働く仲間が増え、
工房が成長してきた様を再発見する旅といっても大袈裟ではない。
追憶の旅の中での興味深い発見は、
売れているものほど、数限りないトライアンドエラーを繰り返しているという事実。
逆に言えば、
「展示会用にデザインしたからプロトタイプ作ってみて~」
「折角作ったから売り出してみよ~」
などと、なかなか安直な姿勢で臨んだもので生き残っているものは少ない。
というか無い。
とある有名な家具メーカーさんでは、
毎年数百の新商品が生まれ、ほぼ同数が消えていくなんて話も聞いたことがある。
プロダクトに関する話の続きは、
来月15日から始まる展示会に行ってもらうことにして、
展示会では出せない工房の経営に関する裏話をさせて頂こうと思う。
さて、
6年続いたということは、
利益を上げ、税金を払い、事業が拡大して来たことを意味する。
経営といえば格好が良いが、
そもそも鮨屋上がりのドンブリ勘定で生きてきた私は、
工房のそれも同じような感覚でやり過ごしてきた。
「来月の仕事が無いぞっ!!」
という事態に陥ることも何度かあった。
そんな時は、
共同代表でもある芦沢に「工房の皆が危機意識をもって取り組まなきゃいけない」などと発破をかけられるのだが、
また始まったな、くらいのことしか思えなかった。
何となくこの値段なら損はしないんじゃね?
などとお気楽に構えていたものだから、
いざ法人化だ、原価計算だ、損益分岐点は? など今では当たり前に考えなければならない事柄も、
知識としては知ってはいたが、製作が忙しいという理由で見て見ぬフリを決めこんでいた。
いよいよちゃんと原価計算をしなければならなくなり、その結果、
その時の価格では全く儲けがないという事実を知った時は正直焦った。
見えない経費があまりにも多かったのだ。
しかし、だからといってまともな価格をそのままに出す訳にはいかない。
売れ筋、相場、お客さんの考える価格とのバランス。
当時始めたばかりの卸売りとの関係性。
全ての製品をスタッフ総出で1つ1つ検証しながら毎晩夜中まで作戦を練った。
もちろん、製作に関する効率化も同時に行なわなければならない。
だから、値上げをする際の紆余曲折は、そんな背景があったわけだ。
私1人で立ち回るならドンブリ勘定でもそれほど問題にはならない。
だが、
共に働くスタッフ達の生活を守るという立場を自覚した時、
それらの問題は、それまで経験してきたことのない未知なる空間に私を連れ去った。
なので、
社長であるけれども今まで自覚がなかった私はこう自問する。
「もし自分が社長ならどうする?」
経営に関して言えば、私はまだ旅の途中だ。
更なる高みへと登るためには、経営というトライアンドエラーを繰り返すこと以外にない。
創造され淘汰され、
より良いもの、支持されるものだけが残り続けていく世のプロダクト達。
我らが石巻工房の姿もそうありたいと思わずにはいられない。
最後に、
6年という節目にお立ち会い頂きありがとうございました。
皆様の数々のお力添えに改めて感謝の意を申し上げます。