■ Column 工房長のサイケデリックな日々 Vol.25
テーマ「旅」
「愚者を旅にだしても、愚者のまま戻ってくる」
以前の私は愚者だった。
いやいや、
今でも愚者ではあるのだけれど、
前よりは少しばかりであるが良くなったと希望的観測な要素を加えてみる。
まぁ、その時点で愚者であることに変わりがないが。
旅といえば地理的な旅を指すことも多い。
が、
見方を変えるれば人生という旅もある。
前回のコラムで予告していた、
“アメリカ出張の詳しい内容” を書くつもりだったが、
年末のこの時期であるから、
今年一年を締めくくり、来年に向けてなにか書くべきではないか?と思いとどまった。
人生における決算書は、
毎回、前年比増にならなくてはいけないといった決まりはないと思うのだが、
やはり去年より良くなっていたいと感じたいものだ。
私の場合、まだまだ賢者という高みにはほど遠いのだけれど、
当社比(当人比)としては上々だったように思える。
日々、
沢山の人や仕事に触れ、様々な経験を重ね、
トライ・アンド・エラーを繰り返しても、
そのフィードバックを一つ一つ検証出来なければ、発見も成長もないはず。
今までの私はそうだった。
忙しさにかまけ、誤魔化しや逃げを優先するような愚者だった。
激流とも呼べるその時間に流され、
懲りもせずに同じ失敗を繰り返してしまうと、
流石に凹まざるおえなくなる。
そんな時は、
トーマス・エジソンの電球の逸話が示すように、
うまくいかない方法を1000通り学んだと思えるポジティブな思考が必要になるのではないか。
そして、
“忙しいから出来なかった”では無く、
その”やり方を変えて一つでも多く出来るようなった”という方が精神衛生上好ましい。
今年は、
意識してポジティブに考えるという技を多少なりとも実践できたお陰で、学ぶべき事は多かった。
このコラムではおなじみ、
アルバス・ダンブルドアのことば、
「見ようと思わなければ、見えないのだよ、ハリー」
地理的な旅であろうが、人生の旅であろうが、
それがセンチメンタル・ジャーニーであっても、
見ようとし、学ぼうとする意識が無ければ、
正に「愚者を旅にだしても、愚者のまま戻ってくる」というまんまの意味になるだろう。
さて、
来年はどのような年にしたいのか?
私にとって今年はいわば仮説の年だったわけだが、
それを踏まえて、来年は検証の年にするというのはどうだろうか。
で、その先は?
検証を実証できれば、
その場所に立ってみなければ、分かり得ない事もあると思う。
恋をしなければ見えない景色もあるのだ。
私の、もとい、石巻工房の旅はまだ始まったばかり。
願わくば、
更なる高みをめざして旅を続けたいと思う。
それでは皆様、
良いお年をお過ごしください。
引き続き石巻工房をよろしくお願い致します。