エジソンは途中までは学校に通っていたのですが、理解力が低いという理由から学校を追放されてしまいます。
< とある授業での一例 >
「 1+1=2を粘土を使用して表す 」という授業で、エジソンは「 粘土を二つ合わせる(くっつける)と一つになるではないか 」と突飛な発想で答えました。そういったやりとりをしているうちに低能児というレッテルを貼られてしまいます。
教師であったエジソンの母は、これらのやりとり(物事)に疑問を抱き、実験を繰り返しできる環境(愛情あふれる教育や協力)を惜しみなく注ぎました。父からは見放されてしまったエジソンですが、母が一番の理解者でありその加護を受けながら疑問に思ったことをどんどん追求していきます。
時が経ち、12歳の頃から駅で新聞配りの仕事を始めます。そして15歳のとき、事故に巻き込まれかけた少年(駅長のご子息)を助けたことがきっかけでその駅の電信技師として働き始めます。
電信技師としてキャリアを積んでいったものの、寝坊ぐせがひどく 夜勤中もしばしばあったそうです。上司に通信機器で勤務中であることを報告するのですが、装置に細工をして居眠りをしていると、上司に見つかってしまいクビになってしまいます。
会社をクビになった後は科学技術を学ぶために収入を研究につぎ込みます。コンテストで優勝することもありました。その頃発明した「 ティッカー 」ですが、これは株式相場を表示する装置で勤めていた会社から特許を売却されることになりました。この発明品が4万ドルで取り引きされ、ここからさらにエジソンは発明家としての道を歩んでいきます。