こんにちは、
さのますみです。

(このメールは佐野珠美の個人セッションのクライアントさまでEメールニュースレター配信にご了解いただきました方へお送りしています。)

このところ起こっている出来事から
ゲシュタルトが関われる領域があることを改めて感じています。
「いまここに居られない自分とどう居るか?」 の 領域です。

それについて、ブログに拙文を書いてみています。
私 珠美が ほんの少しでも出会わせて頂いたこのメールニュースが届く皆様と
共有したいという気持ちがあって、こちらで共有させていただきます。

よかったらご覧くださいませ。

その前に、お知らせをちょこっと 置きます。

ベーシック・プラクティス のワークショップ今月は、
6月9日(日)です。 

しばらく続けたいと思っています。
7月は、7日(日)と 思っています。
ジムやヨガへでも行くような位置付けで
ご活用頂けたらと考えています。

★Half Day ワークショップ
ベーシック・プラクティス
自分の席に座る〜呼吸に気づく
いま、何に気づきますか?
6月9日(日)13:00~17:00 or 18:00 (あともうお一人くらい)
7月7日(日)13:00~17:00 or 18:00 (行う予定)
参加費 4000円

*お申し込みはこのメールにご返信ください。
*お問い合わせ、確認したいこと、どうぞ遠慮なく言ってください!

半日の短い中ではありますが、ゲシュタルトらし〜エクササイズを使っていきます。

いつでもそうですが、私の提供する場の中では、クライアントさんそれぞれの中の
ユニークさ、生命の近くにあるもの、健全さ、動機、ニーズ、
にも、触れる機会であることを考えています。つまり、持ち帰れるものがあるといいなと思っています。ゲシュタルトセラピーは「いまここのセラピー」なんていうふうにも言われています。「いまここ」に居る って どんな感じか? その恩恵って何か?
出来る限りの時間と空間をたっぷり差し出して探求します。

〜〜〜

ではでは、
ブログ記事から共有させてください。
もしご感想など シェアを頂けましたら 嬉しいです。

せめぎ合いに道を譲ること

2019年 06月 02日


の記事の続き を 書きます。
 
 
今回は、殺人をして自らも自分を殺した人に対しての
世の中の論調に変化を感じています。
 
激しい断罪ばかりではない ように見えます。
 
私は、それを見て 人々が 自分の想像を使っているように感じます。
想像を使って、感覚を感じることを許しているように思います。
 
自分自身の中にも かすかに痛む部分がある人が
それを無視しないで 表現出来る世の中になってきている兆しを
感じています。
 
もちろん、人の命を奪う行為は 罪であることに間違いはないです。
 
命を差し出すことになった お二人の優しさには
ただただ圧倒されます。
 
ご冥福をお祈りします なんて言葉は 私の分際では
とても言えないほどに 高潔さを感じています。
これは、私の勝手な 想像ではありますが。
 
 
そして、私に出来ることはないか?
ゲシュタルトの文脈で、この領域で
私に何か出来ることがありそうに思います。
 
そんな感覚が 自分にあるのに気づく ことから
書いてみたいことがあります。
 
 
 
脳内のせめぎ合い についてです。
 
信頼出来る他者との関わり合いのない環境で、
つまり、正確な映し返しのない あるいは 
どんな映し返しも絶った状態の中では
 
自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?
手応えがなくなってきます。
 
ここまで、前の記事に書きました。
 
自分自身の尊厳、
自分自身への信頼、
自分が信じている自分の価値、
 
ほんとうに 見失い易い。です。
本当に 簡単に 手放します。
 
そのうち、証拠を見せろ!と 自分が自分を脅迫し始める かもしれません。
 
自分への信頼 を 持ち続けることが 危うくなってくる時です
 
だけど、一方で 確かにある(はずだ)! の声も聞こえている。
か弱く。
 
その二つの声 が 自分の頭の中でせめぎ合う
疲弊する。
 
このせめぎ合いを、止めるには
自らの命を絶つこと以外にない という
考えが 出てくることが あるかもしれない と 想像します。
 
なんで想像するか と 言えば
私自身 しょっちゅう そうでありました。
 
私に起こる ということは
他の 少なくない人々にも 起こることだ
と 考えます。
 
 
その時に まったく見逃していることがある
と 言ってみたいんです。
 
せめぎ合いに 道を譲る ってことです。
 
 
どうしても起こってしまうことなのなら、それに場所を与えることが出来る
 
プロセスの邪魔をしない という 姿勢が ゲシュタルトの文脈にあります。
 
それを、なくすことや 止めることに 躍起になって 疲労困憊し
一向に 好ましい変化がないのだったら。
 
その「疲労」が、検証する時 を教えてくれている
と言えるかもしれないです。
 
 
そして、
疲労は 人の判断力をさらにさらに削いでいく
 
疲労は 休みの時であって 判断の時じゃない わけです。
 
そんな状態で、一世一代の判断をするべきじゃない
 
 
せめぎ合い なんて もう 十分にやり尽くした って
言うかもしれない
 
けれど
あなたの頭の中でやっていたのなら
実は、それは、やり尽くしてはいない
まだ出来ることがある
 
一人二役では 不十分なのだ
 
せめぎ合いの 両方に その一方一方に 十分な表現の時間と場所を与えたか?
ということなんです。
 
ゲシュタルトのアプローチでは
ここにやり方を持っています。
 
どうせ一世一代の決断をするのなら、
これをやってからにするのはどうか
と 招待を出したいんです。
 
あなたの そのせめぎ合いには 意味がある 
それを 尊重してみる それに出会ってみる 
それが起こっていることは 間違っていない
だから、繰り返し繰り返し起こるのだ
 
あなたは、それを 長年 脳内でやっていたのかもしれない
 
脳内で、そのせめぎ合う勢力を 一人二役で お互いに打ち消しあっていたとしたら?
他の可能性があるよってことです
 
そのそれぞれの言い分を 十分に表現させる機会を持つこと
それぞれの持っている感覚を 十分に体験すること
そして、出来たら その両者が対話をすることです
 
40年もの間、打ち消しあって いたのなら、その会合は
一足飛びには 難しいかもしれない 
 
40年間夫婦喧嘩をしてきた二人 って感じかもしれない
 
相手を突破することを目的とせずに
ともに座れるか
それぞれが、「私」という主語で 表現出来るか
 
それぞれの一方が モノローグで語り始めるかもしれない
それに十分に時間を取ることが出来ると思う
 
たくさんのエピソードが 語られる かもしれない
 
「私」が 生き延びる為の工夫と努力 
「私」が 局面局面で払ったリスク 判断の経緯 
それは、まさにあなたの歴史 でもある
 
そして、もしかしたら 
参考にした 誰かの 言葉 があったかもしれないし
折に触れて サポートとしていたものの存在があったことにも触れるかもしれない
 
自分自身の中に、よすがとなるような
島を築いていくことが出来る
 
 
外の世界と関わることは
ものすごい刺激なんです。
 
その刺激を受けて、自分自身の中で大きな反応が起こる
自分自身の中なのに 相反する意見が 鳴り始める 
めちゃくちゃに同時に ピアノの鍵盤が押されるように
 
その反応に 当の自分が耐えきれない ことは よくあること
 
でも、その鍵盤一つ一つ に 居場所と言い分 が ある はず
一つ一つ に 近寄り 出会ってみる ことが出来る
 
少し練習が要る でも
自分自身とのコンタクトの仕方を練習することは 助けになる
自分が 生きていく時の 自分が自分に出来る助けです
 
これは、どんな人にとっても
練習が必要な場所だと思います。
 
最初から出来る人はいないわけです。
生れながらの部分じゃないとこなんです。
人生をやっていきながら 習得していく領域なんだと思います。
人類は、そのように出来ている ようです。
 
私にとっては、練習可能な場所なのだ と 知れたのは
朗報でした。
 
ゲシュタルトを作った フリッツ・パールズが言う
「成熟化」 の道筋 です。
 
私は、この今回のこの出来事は
今の日本の社会が学べること、深められることを
教えてくれると感じています。
同時に、人々の意見や振る舞いを見るにつけ
そんな成熟へ向かう社会の兆しを感じています。
 
私の信じるゲシュタルトを通じて 私もまた
社会と関わっていきたいと
思いを新たにしています。
 
ふぅ〜
呼吸 を します。
 
ありがとう


〜〜〜


Half Day ワークショップ
6月9日(日)13:00~17:00 or 18:00
ベーシックプラクティス
参加費 4000円
自分の席に座る〜呼吸に気づく
いま、何に気づきますか?


一日に何度か、
「自分の席に座る」という
ことをします。
 
それをして初めて、
クリアに 何かを始められる自分で
あるように感じます。
 
「瞑想」を習慣にされている方も多いと思います。
少し似ているかもしれないです。
 
私にとっては、
自分自身の三つの領域(*)が、
ひとまとまりになっていくのを感じられる
ルーティンです。
 
一番の恩恵は、
空の空間が空くこと。
 
空という字が三つ並びましたが。笑
 
それは、感覚的なものではありますが、
身体の中に、アタマの中に、
カラダの周囲に、スペースが空きます。
 
自分の胸の前辺りに作業スペースが空いて、
 
「さあ、何が入ってきてもいいよ」

という 頼もしさ を自分に実感します。
 
それは、「地に足ついている」感じです。
自分にはよく見える「目」がある と 感じられます。
 
 
 
そして、これを 自分自身のセルフワークの始まりとして
行う場合もあります。これは、瞑想の習慣の人がやっている感じですかね。

そうすると、
空間が空いた ところへ
そこへポンと 気づきが 入ってくることがあります。
 
「あぁ、そうか〜。。」
と、発見がやってきたり、

「大事な忘れていたこと」を思い出すこともよくあります。
この大事なことの 大事さの レベルは、
私の生きるにおいて大事なこと 〜 あ!あれ持ってかなきゃ!
まで、あります。
 
 
(*)三つの領域とは、
ゲシュタルトの用語で言うところの
内部領域(身体感覚)、外部領域(五感)
そして、中間領域(思考)です。
 
ルーティンとして私が行う時には、
ほんの5分。
長くても15分ほどです。
 
「座る」と言っていますが、
電車の移動中、立っている時に行うことも出来ます。

そういう意味では、私にとっては、
「いまここ」を取り戻す とても便利なツールです。


ここで起こっていることは、
人によっていろいろに表現出来ると思いますが、

私が、ゲシュタルトにおいて自分の先生と勝手に
定めている方の言葉を借りると、
それは、スノードームに例えられます。
 
雪や塵のようにカラダの内外に浮遊している断片が、
静かに静かに、地面へ降りていく様です。
 
それは、思考の領域の断片であることが多い
かもしれません。(思考を悪く言うつもりはありません。)
 
パラパラ、チラチラしたものがすべて地面に降りると、
クリアな空間が出来上がっています。あの感じですね。

ゲシュタルトの気づきのプラクティス(実践とか練習とか)
は、日常に落とし込んでいくことが可能です。

そうすることで、日常に 楽さ や 自由さ アイデア を
呼び込む可能性があります。

一つには、その人の「思考」のクセの 再構築 でも
あるからです。

ワークショップの機会では
ご一緒に、自分の席に座る〜呼吸に気づく への
その人にとって やりやすいプロセスを 発見したり
その恩恵を味見したり が 出来たらと 願っています。 

その恩恵、
具体的に言うならば、
私にとっては、
 
日常における休憩場所、または一時避難場所になり得ます。
野生動物の巣のような、安心して毛づくろいができる場所。の確保。
でもあります。
 
私が、私を思い出す。
私が、私にくつろぐ場所。を、一人でいても、誰かといても、何をしていても、
思い出すことが出来ます。
 
 
ちょうど柳の木に似ています。
柳はしなやかでものすごく揺れます。そして折れることなく復元します。
 
「戻る場所を知っている」しかも、体験的に。
実は、ものすごく大事なことだと思っています。
 
日常をやっていくって、予期せぬことの連続で、
そんなことは分かっているけど、やっぱりその度びっくりします。笑
 
そんな、衝撃の瞬間でも、呼吸くらいは出来ると思い出すことができます。
 
呼吸ができれば、そこに物理的に座る場所がないとしても、徐々に、
自分自身が自分の席に座っていくのを感じます。
 
一旦自分の席に座ってから、
その状況を眺めて見ると、さっきまで見えていたものとは、
もうちょっと違う景色に見えてくることがあります。
 
「ふんふん、それで、ここはどうなっているのかな?」
より具体的に、よりリアリティに近寄ります。
近寄れる勇気があります。

頼もしい自分自身と繋がりながら、
現実・事実に関わることは、よりクリアな選択を自分に招くことを可能にすると考えています。 

クリアな目であるいは、思考で、事実に関わると、
それまで気づきの範囲に入っていなかったものに気づける可能性があります。

また、おお!こんな選択肢があるか!と、発見するのは、
よろこびです。
 
その逆を発見して、
「ああ、これは、もう違うな」と、
それを止める選択へつながっていくこともあります。
 
「自分の席に座る」
こんなに小さな一手間なのだけれど、
奥深いものがあります。
恩恵は、大きいのです。
 

いまここ に いる 
を、思い出す ことに ご興味ありましたら
ご一緒したいです。

スカイプで提供している『ベーシックプラクティス』のご案内は
ここをクリックしてください。PDFが開きます。

*お申し込み、お問い合わせ、ご相談、ご確認、
どうぞ遠慮なくお聴かせください。

このメールに返信可能です。



〜〜〜


読んでくださって、ありがとうございます。

ゲシュタルトの気づきの場で
お会いできますことを願っています。

感謝を込めて

佐野珠美





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