今回は、
先日の「指令性」の記事に
ご意見を頂いたので
ご紹介します。
ご質問ではないのですが
私なりの見解を添えて。
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トップ5に
指令性を持つ者です。
指令性は、
相手のフィードバックや
意見に対しても
率直だと言っていますが、
確かに私も、
後でコソコソ叩かれたり
不満を漏らされるくらいなら、
率直に言えと思うし、
相手にもそう伝える方ですね。
大学の授業の
グループワークの際も、
私が纏め役になって
進めていく方で、
他の人間にも
質問や意見を進んで聞きます。
ただ、
トップ10の自我の影響か、
時折相手からネガティブな
フィードバックを貰うと
傷つくことがあります。
流石にそれで何日も
思い悩む事はないですし、
何事も自分の捉え方次第だと
思う節もあるので
すぐ立ち直るのですが。
指令性の
何事も率直に構えるという事と
傷つくかどうかは別問題ですね。
少なくとも私は
全く傷つく事が無いと言えば
嘘になります。
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ご意見、
ありがとうございます。
今回どういう意図で
ご意見を頂いたのかが
わからないのですが
頂いたエピソードに関しては
「それは、そうですよね」
という感想です。
「指令性」だから
何を言われても
傷つかないなんてことは
ないだろうし、
私自身が
そういうことを
書いたことも、言ったことも
ありません。
ただし、
「指令性」を持つ
“ほとんどの”方は、
回りくどい言い方や
その場で伝えずに
後になって
ごちゃごちゃ
言われることを
好まないと思います。
こういう部分は
ほぼほぼ
共通しているのでは
ないでしょうか。
結局どんな資質であっても
他の資質の組み合わせが
違う限りは
誰でもまったく同じように
出ることなど
絶対にないわけです。
では、
資質単体で
解説していくことが
意味のないことかと言えば
私はそうは思いません。
資質単体での解説は
その資質を持つ人の傾向を
ある意味最大公約数的に
抽出したものと言えます。
だから
例外があって当たり前だし
その人なりの
その資質の出方は
最大公約数的なものに
他の資質の
組み合わせから来るもので
肉付けしていったものとも
言えるでしょう。
だから、
ここは昨日書いたことと
通じるところですが
自分自身が
その資質を持っている場合は
最大公約数的な傾向と
自分を照らして
自分がどう違うのか、
何が足りなくて、
何が足されているのかを
考えてみることが
大事です。
結局のところ
自己理解というのは
相対比較でしか
追求できないものです。
個々の資質の解説は
そんな風に
自分がそこから
どうずれているのかの
基準やものさしのように
考えてもらうと
いいのかなぁと思います。
そして、
自分が持っていない資質の
最大公約数的解説を
活用するのであれば、
その資質を持っている
大方の人は
当てはまる可能性が
高いわけなので、
まずはそれを信じて
関わってみるというのが
大事だと思います。
ただし、
これはどんな場合でも
言えますが
“決めつけ”は厳禁です。
ストレングスファインダー®の
ベースにあるのは
究極の多様性です。
だから、
こういう資質だから
こうなるはずだ
と決めつけてしまうのは
ある意味本末転倒です。
「一人ひとり違うんだけど
この資質を
持っているということは
たぶんこういう関わり方が
望ましいのだろうなぁ」
と、これくらいの
感覚で周囲の人と
関わっていくのが
ちょうどいいのではと
思います。
と言いつつ、
かく言う私も
時々ついつい決めつけて
しまうことがあるので
自戒を込めて
書いてるところも
ありますね。
いずれにしても
自己理解、他者理解が
何のためにあるかと言えば
自分も、周囲の人も
皆幸せになるためですよね。
これを言うと
元も子もないですが(^_^;)、
そこさえ外さなければ
それでいいんですよね…。