最初のきっかけはアサーティブ

 

前回の続きです。

 

(バックナンバーは

こちら から)

 

 

「オーバーに

書かれてるんだろうな

とも思ったりします。」

 

との感想を頂きました(笑)。

 

 

いやいや

もちろんウソなく

そのまま書いてます。

 

 

さて、

マネジャーに

昇格してからもしばらくは

悶々として

過ごしていたような

気がします。

 

 

気がします…と

書いているのは

あまりこのあたりの記憶が

残っていないから。

 

 

忘れたい黒歴史…って

感じでもないと

思うのだけれど

取り立てて

思い出すことが

ないのも事実ですね。

 

 

で、

そうこうしているうちに

本当の転機が

やってきます。

 

 

正確な時期は

覚えていないのだけど

その当時務めていた

半導体製造会社の

社長交代で

初めていわゆる

プロパーの社長が

生まれたのです。

 

 

私の務めていた

メーカーは

その当時はすべて

製造工場も

一つの子会社として

独立して

運営されていました。

 

 

そして

最初のプロパー社長は

一時期私の上司でもあった

技術系の方でした。

 

 

その方は、

“人”を大事にする人でもあり

社長になってすぐに

風土改革プロジェクトを

立ち上げられたのです。

 

 

それまで

何か変えないといけないと

思いつつも

何も返られずに

悶々としていた私は

すぐに飛びつき

メンバーとして

活動すべく手を挙げました。

 

 

その

プロジェクトメンバーで

議論していく中で

我々が実行に移したのが

アサーティブ研修の

展開でした。

 

 

というのも、

一時期恐怖政治的な

マネジメントを

展開されていた

社長がいた時期があり、

(あれは酷かった…)

特に上下間の

風通しが悪いように

皆が感じていたからです。

 

 

そこで浮かんできたのが

 

“アサーティブ

コミュニケーション”

 

でした。

 

 

その当日の私は、

コミュニケーション

スキルやあり方について

まっとうに

学んだことはなかったので

もちろん

“アサーティブ”が

どういうものかも

ピンと来ていませんでした。

 

 

ただ、

自分たちがやりたいことを

実現していくためには

何かしらを

地道にやっていくしかない

ということは

メンバー共通の

認識だったと思います。

 

 

ただし、

そこには一つ

問題がありました。

 

 

費用的な問題です。

 

 

なにせかつては

世界一と謳われていた

工場ですので

従業員数は

数千名規模です。

 

 

マネジメント層を

除外したとしても

全体に研修を

行き渡らせるとしたら

恐らく数千万円から億単位に

なってしまうでしょう。

 

 

ま、今思うと

それくらいの投資をしても

価値はあったと

思えますが

さすがにその規模の予算を

つけてくださいとも

言えません。

 

 

そこで我々がとった作戦は

我々自身が講師となり

アサーティブ研修を

展開していくことでした。

 

 

そのためにはまず

我々が学ばねばなりません。

 

 

ということで

二日間のトレーニングを

受けた訳ですが

そこでの

ある一つの出来事が

その後の自分に大きな

インパクトを

与えることになります。

 

 

結局私の場合、

コーチングではなく

アサーティブとの

出会いが

変わるきっかけ

だったのです。

 

 

-----------

 

 

ここで書いていることは

繊細な内容なので

皆さんの心の内にだけ

留めておいてください。

 

 

その前提で

自分のダメっぷりを

赤裸々に書いていきます。

 

 

 



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編集後記

 

昨日は、

五家荘という秘境に

紅葉を

見に行ってきました。

 

 

この地は、

壇ノ浦の戦いに敗れた

平家の一部が

落人として逃れ

隠れ住んだ

一つの地域らしいです。

 

 

実は、

その記念館のある場所が

一つの紅葉の名所にも

なっています。

 

 

ここに至るまでの道は

運転に自信の無い人は

止めておいた方が

よいくらい

狭くてくねくねした道が

延々と続きます。

 

 

だからこその

秘境なのですが。

 

 

その記念館で

妻にこう聞かれました。

 

 

「日本史って

いつまでやってた?

中学?」

 

 

文系科目全般に

ほぼ興味の無かった私は

こう答えました。

 

 

「あー、そう言えば

そんな科目もあったなぁ

くらいにしか

思っていない

俺に訊くな!!」

 

 

ちなみに妻のSFの

トップは「原点思考」。

 

 

私は33位。

 

 

話しが

噛み合うはずもなく…(笑)

 

 

あっ、でも

こういう

落人ストーリー的な

ものがあると

そんな私でも興味は持つし

日本史、世界史的な科目が

自分の中では

暗記科目化していたのが

問題だったのだろうなぁと

思います。

 

 

だから、

漫画で歴史を追うのって

とても意味があるなぁと

思うのです。

 

 

あっ、

どうでも良い話しでした…。

 

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