いま長野にいます。
自己基盤強化合宿に参加していて、
今回のテーマは
「人生を単純にする」です。
昨日は、
そこに入っていくための
助走のような時間でした。
伊藤守さんの著書にある言葉をヒントに、
幸せについて参加者どうしで
語り合いました。
正直に書くと、
私は普段からあまり幸せを感じながら
生きているタイプではありません。
かといって
不幸だと思っているわけでもなく、
日々をあるがまま暮らしている、
という感じです。
ここは、
ストレングスファインダーの
「適応性」が働いているところかも
しれません。
ただ、
日常にある幸せという切り口で
話をしていると、
ごく普通の毎日の中にも
幸せがあることに気づきます。
直近で言えば、熊本地震です。
すぐ近くに
大きな被害を受けた人たちがいるのに、
自分はこうして普通の生活を
送っていていいのか。
変な話ですが、
ある種の罪悪感のようなものを
抱えています。
ただ、これは裏を返せば、
何気ない普通の暮らしができること自体が
幸せなのだ、
ということなのだと思います。
朝、目が覚める。
ごはんを食べて、仕事をする。
夜になれば眠って、また朝が来る。
特別なことは何も起きません。
その一つひとつが、
本来当たり前ではないのです。
昨日、
私なりに行き着いたのは
こういうことです。
幸せを感じるというのは、
ある種の技術なのではないか。
技術なら、
練習で身につけられるのではないか。
幸せに生きると決めた人は、
自然と幸せに意識を向ける。
だから、
日々の暮らしの中にある
幸せに気づける。
そういうことなのだろうと
思います。
普段ことさら幸せだと思っていなくても、
これも幸せだなあ、
あれも幸せだなあと
口にしてみる。
そうしていれば、
感情は後からついてくるのではないか。
そう思いたいだけかもしれません。
ただ、そう思っておいたほうが、
私にとってはありがたいのです。
いいことがあったから幸せ、
なかったから幸せではない。
そういう決め方をしなくて済みます。
他責ではなく自責で幸せになれるのなら、
そのほうがいいなあと思っています。
合宿は今日も続きます。
私はまだ、
幸せを感じる練習を始めたばかりです。