長野の自己基盤の合宿で、
気がついたことがあります。
二日目に、
今回参加した目的を言葉にして
書く時間がありました。
私はストレングスファインダー®の
「調和性」が上位です。
合意を得たい資質なので、
物事をあまり疑わずに受け取る
傾向があります。
疑うという行為は、
相手と意見を合わせることの
対極にあるからです。
必ずそうなるわけでは
ありませんが、一般的に、
真に受けやすいところは
あります。
今回もそうでした。
参加の目的なのだから、
合宿のテーマである
「人生を単純にする」に
沿うものである必要がある。
当たり前のようにそう思って
書きました。
「別にテーマに
こだわらなくてもいいのでは?」
という疑問は、わきませんでした。
ところが、
他の人が書いたものを読むと、
必ずしもテーマに沿っては
いません。
それぞれが自由に、
この合宿に求めているものを
書いていました。
それを読んで、
まず思ったのはこうでした。
みんなは自由に書けているのに、
自分はこんなところでも
枠にはめてしまう。
人と違った。
ただそれだけのことなのに、
自分のダメさとして
受け取っていました。
今回の私は、
あまり状態がよくないまま
参加していました。
思考が
ネガティブに寄っているとき、
人は自然と、
自分を責める材料を
探しにいくのだと思います。
まさにそれをやっていました。
冷静に考えれば、
私の書いたものが
間違っているわけではありません。
何をどう書こうが自由です。
頭ではわかります。
それでも、そのときの私は、
そう感じてしまっていました。
合宿のワークでは、
話しているうちに、
この手の問いを受けることが
よくあります。
「それって、
本当にダメなことなんですか?」
問われて、
ようやく我に返ります。
書いたものがダメなのではなく、
そのときの自分の状態が、
そう感じさせているだけ。
そうやって冷静に、
ニュートラルな視点を
取り戻します。
自分一人では、
なかなか戻れません。
こういうところに、
自分一人で
向き合っていくのではなく、
他者との対話を通して
自分と向き合うことの
効果と意味があるのだと
思います。