完璧ではないにしても「読んでわかった」という実感が得られた理由を考察。音読力の重要性・多読学習のスタートを切るタイミングについて、ガリレオの考えをまとめました!
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GSI (Galileo Studies Italian)
~実家にあった箱で学習成果を実感したぞ!~ |
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■ 「読んでわかった」を考察
完璧ではないにしても 「読んでわかった」という実感が得られた理由を考察してみると:
- 音読(発音)ができる →
orgogliosi (=
proud)のように知らない単語もあったが、gliという部分も含めてどう発音されるかは知っているので、「手も足も出ない」という感がない。
- 文法がわかる →
Tutti i nostri prodotti sono stati sviluppati dai nostri signori esperti.で
sviluppatiは知らない単語だったが、"All our products have been [ ? ] by our experts."まで解読できたことで、想像で補える範囲に収まった。(実際には
sviluppati =
developedの意。)
- 英語からの類推 → イタリア語(もっと言えばヨーロッパ諸言語)に関しては、もともと知らなくても英単語との関連で理解できる単語が多い。この中では例えば
ingredienti =
ingredients,
prodotti =
productsなど。
「想像で補える範囲」とは?
Victoria Universityの Paul Nation教授の調査によると、理解を伴って読める文章の目安は全体の 98%の単語が理解できるもの、と示されている。もちろん、単語だけの問題ではなく、上記 2. のように、 文の全体的な構造が理解でき、例えば受動態が使われている文の過去分詞の単語がわかっていないんだ、というような感覚も必要であろう。
その上で、例えば形容詞や副詞といった 修飾語がわからないということであれば、主要部となる名詞や動詞の意味の方さえ理解できていれば、とりあえず 飛ばし読みをしても大きく理解は崩れない。
一方、例えば 主語のメインとなる名詞そのものが知らない語で、パラグラフ全体のトピックがその名詞の表す対象であるような場合は、文脈から想像して復元できる場合もあるにせよ、往々にして 辞書で調べた方が早くて効率が良い、という判断になる。 |
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■ まとめ
このような意味でも、 音読力は語学の基礎の基礎。
スラスラと音読できないものは、スラスラと理解できるはずもない。また、文字や単語レベルを読むことに精一杯で、意味の切れ目やプロソディー(より大きなまとまりの強弱・リズム・イントネーション)面に意識を向ける余裕がないうちは、まずは 一度にワーキングメモリで処理できるチャンク(まとまり)の拡張を優先して学習すべき段階ということになる。←GSK: ガリレオの韓国語学習は、まだこちらの段階と自覚している。
逆に言えば、はじめて目にした単語でも、とりあえず その言語における発音ルールに従って瞬間的に "読める"ようになれば、ハードルが高く見えても 多読学習のスタートを切って構わないとガリレオは考えている。実際に高3でハリポタを読んだときもそうであったし、GSIでは現在使用中のテキスト
Nuovo Progetto italiano: Quaderno degli esercizi 1の次は多読テキストに進もうと考えています。
「その言語における発音ルールに従って瞬間的に "読める"」ということに関して言えば、英語はスペリングと発音の対応関係が、歴史的背景も相まって複雑なことになっている。それだけに、 英語音声学・音韻論に基づいたメカニズムから発音を学ぶということは、他の言語以上に有効な学習方法と言えるのである。 |
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☆Here is the Path to Wonderland★
残念ながら、中身は空だった(T ^ T) |
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