■ 考察
ディクテーションで得られた自信
5月 (Maggio)の GSIではリスニング(ディクテーション)に苦労して、mozzarella(モッツァレラ)さえ認識できなかったという話を書きましたが、Unità 9ではかなり聴き取れ&書き取れた_φ( ̄ー ̄ )
※ 興味のある人はこちら→
[音声](メガネ: occhialiを買いに来た少女と店員の会話)
もっとも、前回に比べれば「教材的にマトモ」というか、レベル的に妥当ということはあったのだけれども、"A dire la verità sono molto indecisa. (To tell the truth I'm quite indecisive.)"や "Certo, è una cosa che si fa spesso. (Certainly, it's something that people often do.)"あたりを正確にディクテーションできたのは自信になりましたね、やっぱり。
"5歳の発想で言い換え"の害悪
他方、
le lenti (the lens),
la montatura (the frame)のように、日常での使用頻度は高くなくても、「メガネを買う」という会話の中では絶対に必要となるキーワードが認識できないと、そこで理解に重大な困難が生じることになる。
よく、英会話のアドヴァイスとして、「言いたいことに対応する英語表現が思い浮かばなければ、5歳レベルの表現に置き換えて伝えましょう♪」といったことが言われる。確かに急場しのぎのサバイバル術としては、幼稚な言い回しだろうが「這ってでも伝える」必要が生ずる場面はある。しかし、ガリレオ流では幼稚な言い換えはお勧めしない。まず何といっても語感が乱れる。「日本語を幼稚にして英訳する」という、そもそも不自然なプロセスを経て"でっち上げられた"産物は、不気味な不協和音の羅列にしかならない。
また往々にして、「言い換え」を奨励する当の本人は、大幅に曲がりなりにも"英語教員"であり、簡単な表現でも一応は自然な英文をこしらえることができる(はずである)。そのような、いわば「パンがなければケーキを食べればいいじゃない・水がなければワインを飲めばよろしいじゃない」の発想を、語学学習者という"一般市民"が真似したところで、実際に手に入るのは泥団子や泥水である。
では、どうするか?
本当にやるべきことは、幼稚な言い換えではなく「リサーチ」である。
つまり、自分が言いたい内容と同じ状況・トピックにおいて、実際にはどのような表現が用いられているのかを調査する。スマホひとつで検索できる環境が整っているわけだし、周りのネイティヴや語学力の高い人がどんな言い回しをしているか、常に耳を凝らしていれば実に多くのことが学べる。
少し想像してみてほしい。メガネを買いに行って、「レンズ」や「フレーム」といった単語を一回も口にせず、言い換えを重ねて目的を達せられるだろうか?たとえ不可能ではないかもしれないにせよ、面倒くさいことこの上ない(自分だけでなく店員さんにとってもね)。
やはり、場面ごとにバチっとハマるキーワードというのが、何事においても存在するものであり、それを使うことでコミュニケーションは圧倒的に効率的かつ、何よりも「楽」になるのです。 |